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夕張モノクロ紀行 A

夕張

夕張は石炭の街であるというのが私の認識ですが、若い方にはメロンや財政破綻の街かもしれません。一時は観光の街といえる時代もあり、それこそ「バリバリ♪ 夕張」でしたが財政破綻で幻と消えました。。。最盛期の人口は11万6000を超えてましたが2010年には、10分の1を満たない10925名まで減少しています。

2003年から3年ほど夕張が気に入り毎年のように通いましたが、ここ数年は夕張に行っていません。財政破綻というよりそれ以前から、夕張から貴重なものが少しずつ消え去り、当たり前にあったものが無くなった光景を見たくないというのが原因です。そういえば、米坂線に国鉄型気動車を追って毎月のように通いましたが撤退後は、近所の米沢すら通っていないというのと似ているかもしれませんね(笑)

人間にバイオリズムがあるように、私も一時期は夕張に萌え、抜海や利尻に萌え、長崎に萌えと、一度萌えると桜島の如く熱く萌え、しばらくすると冷却期間を設けつつまた萌え出す。。。そんな繰り返しをしているような気もします。そんな訳でしばらく行っていない夕張も最近気になる今日この頃です(笑)

ヤフーの検索エンジンでは強かった私の「夕張モノクロ紀行」もグーグルとの検索合併後は幻と消え去りました(爆)所詮は夕張石炭歴史の村にあった遊園地みたいなものだったのでしょう。今回は検索エンジン「夕張」での陥落を記念し、夕張モノクロ紀行で紹介していなかった写真をちょっとご紹介したいと思います。

残念ながらこの頃はデジカメではないうえ、スキャナーが壊れたままなので画質は非常に悪く申し訳ありませんが雰囲気だけでも感じて頂ければ幸いです。2003〜2004年の夕張です。ちなみにトップ写真は真谷地にあった北炭建設の建物ですがこちらも今は撤去済みのようです(涙)毎年のように夕張らしさが消えてゆく、これも夕張の歴史かもしれませんね。

夕張

かっては炭住街のあった社光、バス停バックに見えるのは北炭夕張炭鉱高松ズリ捨て線跡です、バス停名のとおり、当時は郷愁の丘ミュージアムがありましたが、今は冬季は閉鎖されそれ以外の時期は花畑牧場の管理下でなんとかやっているようです。ミュージアムには入りませんでしたが季節も季節なので誰もおらず、当時から暇そうでしたね。

夕張

冬季の北炭夕張第二鉱天龍坑坑口、石炭の歴史村内にありますが現在、冬季は石炭の歴史村が閉鎖中のため行けるのか不明??。この天龍坑では昭和13年に100名以上の方が地底でお亡くなりになっています。

夕張

写真を見た当時は、随分しょうもない写真を撮ったなぁ〜と思いましたが今では夕鉄バスもこの「石炭の歴史村ターミナル」までの乗り入れがなくなり、ちょっとは貴重な光景になりました。あのころは「石炭の歴史村ターミナル」行きのバス当たり前に結構走っていたんですが。。。。。これも破綻の影響でしょう。市内を走るバスも随分減っています。

夕張

夕張本町、市役所前の中心街、かっては賑わって場所でしょう。

夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された夕張・社光・高松地区、写真左の小さい○が国鉄夕張駅、後ろに夕張炭鉱の施設が見えます、中央下の大きな○が郷愁の丘ミュージアムがある社光地区、丘陵の斜面上に沢山の炭住が見えます。中央上の○が高松地区の炭住です。高松と社光の間に斜めに走る細い線が北炭夕張炭鉱高松ズリ捨て線で右下にズリ山の一部が見えています。「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

南大夕張

バスで南大夕張にやってきました、地元では南部と読んでいます、大夕張の南部にある地域と言う意味ですが、南部と言われると私は盛岡や八戸の南部藩を思い浮かべてしまいます。そんな訳で本当は南部行きの行き先幕だった夕鉄バスですが、あえて大夕張に変更してます(^^;;左奥に小さく見える三菱大夕張鉄道の機関庫も今はありません。

南大夕張へは思いがけず早く着きました。私の持っていた時刻表が古かったせいですが(爆)帰りは時間もあるので清水沢まで歩くことにしました。

南大夕張

これまたしょうもない写真で恐縮ですが、南大夕張第二体育館の写真です。南部ばかりで大夕張の文字に飢えていたので思わず撮りました(笑)やっぱり、地名は南部より南大夕張に軍配が上がります♪

夕張

夕鉄バス「幌南中学校前」バス停、2010年に中学校は市内に1つに統合され、2011年には小学校もとうとう一つになる夕張市、昭和30年代には実に36もの小中学校がありました、幌南中学校や幌南小学校も2010年に閉校しています。少子化・過疎化が進む夕張の現実です。

夕張

遠幌地区を流れる遠幌加別川、三菱大夕張鉄道・遠幌加別川橋梁の立派な橋脚が残っています。ちなみにこちらの橋脚は架け替え前の古い時代の橋脚のようです。新しいものはこの橋脚と道路の間にありました。

南大夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された南大夕張地区、写真左の小さい○が夕鉄バス南部バス停付近大夕張幕バス写真を撮った威場所付近、中央の○が今はない三菱大夕張鉄道の機関庫です。○と○の間の線路上には三菱大夕張鉄道南大夕張駅が見えます。現在駅舎下のホームは健在で冬季を除き車両が展示されています。右側の大きな施設が三菱南大夕張炭鉱になります「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

夕張

夕鉄バス真谷地バス停、現在は路線も変り、清陵町〜真谷地市街〜登川線になり本数も随分減ったようです。かっての終点真谷地まではバスも来ていないかもしれませんね、利用者は物好きだけのような場所にありましたので、奥に北炭建設の建物が見えます、左側にあるのは北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道の元機関庫です。スキャナーが壊れてるのでボケボケですいません。

夕張

北海道炭礦汽船真谷地炭鉱選炭工場跡、ここも最近無くなったようです。

夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された真谷地地区、写真左の○が真谷地市街、中央の小さい○が恐らく北炭建設の建物、右の○が真谷地炭鉱関連施設になります。「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

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