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夕張モノクロ紀行

夕張

今回は番外編で2003・4・5年に訪れた炭鉱の街、夕張を紹介します


夕張本町

夕張

夕張駅近くにある夕張中学校、冬休み中で静かなのは分かりますが、よく見ると閉校の文字・・少子高齢化過疎化の深刻さをまざまざと感じさせられました。

夕張

坂を登ったところに夕張本町の市街地があります、登り終える頃、清陵町行きのバスがきました。清稜町は元炭鉱労働者やその家族が多く住む街です。

夕張

本町の市街地、この大きな木造家屋の店舗を見るだけでかっての繁栄が分かるような気がしました。

高松・社光地区

夕張

北炭夕張炭鉱専用鉄道高松跨線橋、この橋をたくさんの人が家族の待つ炭住や炭鉱へと結びました。現在は写真右上にあった炭住もすっかりなくなり、瀟洒な橋だけが思い出と共に残りました。

夕張

近年2度も移転した夕張駅ですが、国鉄時代の夕張駅舎が健在で現在も事務所として第2の人生をあゆんでいることは、夕張の歴史の証人として嬉しいことです。現在は残念ながら解体されています。

夕張

病院前を走る社光行きバス、社光は、夕張らしさを感じるとても好きな地名です、斜坑からきたようですが社会に光をの意味をこめて社光になったようです。夕張の炭鉱労働者のさまざまな思いが詰まったような地名に感じます。

鹿ノ谷

夕張

鹿の谷、アイヌ語でユクルペシペ(鹿の峠道)といわれた鹿の谷は夕張鉄道の機関庫があり、たくさんの石炭を満載した貨車や蒸気機関車が見られましたが、現在は車庫(写真中央)と、JRの1両のディーゼルカーが行き来するだけになりました。

夕張

右端に鹿ノ谷駅に停まる列車が小さく見えます、駅横の構内の大きさや斜面に立つ炭住が炭鉱の街であったことを教えてくれます。炭鉱の町だった夕張を今でも偲ぶことができる地区のひとつです。

夕張

鹿の谷駅から10分ほど登った場所にあるのが、北炭の石炭分析室です。煉瓦造りの重厚なつくりの中で最先端の設備で石炭の分析が行われていました。

夕張

鹿の谷駅から10分ほどの場所にある、北炭鹿ノ谷倶楽部、かっての北炭の栄華を垣間見ることができます夕張市が破綻したのでこれからが心配です。

夕張

鹿の谷駅から10分ほどで石炭分析室近くになる瀟洒な建物が北炭の従業員用に立てられて教会です。現在は、日本キリスト教夕張教会堂として使用しているようです。

清水沢

夕張

三菱大夕張鉄道の分岐駅だった清水沢駅、ここも大きな跨線橋や広い構内がかっての繁栄を伝えています。こちらも残念ながら解体されています。

夕張

現在も夕張支線の中では比較的乗客が多い清水沢駅(支線唯一の有人駅)、近くに若菜という奇麗な地名があります。一見和名に見えますが、実はアイヌ語のワッカナンペ(水・冷たい・もの)からで沢を指したものです。夕張鉄道には駅もあった場所なのでJRにも仮乗降場でもいいので利用客を増やすために設置して欲しいものです。

夕張

清水沢は今でも、信用金庫やコンビ二などがあり比較的便利な街ですが、閉店している店が多いことも事実です。バス停に南部(南大夕張)行きの新車のバスがやってきました。街とあまりマッチしませんが乗客はやはり、老人ばかりでした。

夕張

JR清水沢駅舎、夕張支線内唯一の有人駅ですが利用者はまばらです。それでも駅舎の貫禄と客待ちのタクシーがいるところがかって繁栄を私に教えてくれました。

夕張

清水沢より南部方面に歩くと、今でも現役の炭住を見ることが出来ます。なぜか懐かしい気がするのは私だけでしょうか?

夕張

北炭清水沢発電所、夕張の心臓部として活躍した発電所も残念ながら解体中、歴史の証人として残して欲しいという思いと共に解体するなら100年の年月をかけてゆっくりとやって欲しいものです。1度壊せば、取り返しがつかないものです。

遠幌

夕張

遠幌加別川のほとりにある遠幌バス停、かっては大夕張鉄道の駅や炭鉱もありましたが現在は小さな集落が残るのみです。

地名はアイヌ語のウエンホロカベツからで、(悪い後戻りする川)からきています。ホロカは下流側が屈曲してあたかも上流に流れるかののような地形につけられる地名です。

夕張

かっての遠幌炭鉱事務所、遠幌保育園として第2の人生を歩みましたが、現在は閉鎖され静かに眠っていました。

南部(南大夕張)

夕張

南大夕張駅跡に残る保存車両と機関庫(機関庫は2004年撤去)、駅ホームと車両たちは、大夕張鉄道保存会により大事に保存されています。

夕張

かっては、南大夕張鉱があり賑わった町も今は小さな集落へと替わりましたが新札幌への直通バスがかっての繁栄を伝えています。

夕張

南部にも商店街がありますが、しまっている店が多く、まるで映画のセットのようでした。

夕張

南部東町、日中にもかかわらず静寂仕切った町並、信号機だけが空しく稼動していました。

真谷地

夕張

真谷地市街入口バス停、郵政民営化に関係なく郵便局は廃局になっていました。

夕張

終点真谷地バス停、鉄道はなくなりましたが1日数本のバスが市内より運行中、アイヌ語のパンケマヤ・ペンケマヤ(川下のマヤ川・川上のマヤ川)からですがマヤの意味が分からない地名です。

夕張

夕張市内最後の炭鉱のため(昭和62年閉山)比較的に炭鉱跡が残っています。写真は北炭真谷地炭鉱総合事務所です。

夕張

石炭貨車が行き来したポケット、次第に風化しつつありました。

夕張

真谷地炭鉱の従業員用の炭住が並ぶ六区、やはり空き部屋が目立ちます。

新夕張

夕張

夕張の玄関口、新夕張、昔は紅葉山と呼ばれ付近の紅葉の名所であったことから名付けられました。石勝線の開業で駅名は改称されましたが、旧駅付近にぽつんと駅名票だけが残っていました。

南清水沢

夕張

夕張線(新夕張〜夕張)の利用客なんと今では1日平均120人ほど、これでも江差線(木古内〜江差)の2倍はいますが行く末が心配な状況には変わりません。そんな路線の一番のお客様が南清水沢駅利用の高校生、夕張支線の運命をにぎっているといっても過言ではありません。雪の中今日も学校へと向かいます。

夕張

夕張鉄道、今はバス会社ですが現在でも社名はそのままです。今でも夕張市民の貴重な足になっています。行き先は登川、そう石勝線開業前の支線の代替バスといったところです。途中の楓駅も近年なくなり、その使命は尚強くなりましたが、バスも年々減り今では5往復です。

清陵町

夕張

あの痛ましい、北炭夕張炭鉱の事故、いまでも私の記憶にはっきり残っていますが、その事故があった夕張新坑用に作られた炭住街が清稜町です。

沼ノ沢

夕張

かっては真谷地に行く専用線もあった沼ノ沢ですが今ではとても静かです、それでも、駅舎内にある洋風レストラン「おーやま」が駅を明るくしています。地元でも評判の店です。

瀧ノ上

夕張

石勝線で夕張川を眺めていると滝の上駅手前に見える瀟洒な煉瓦造りの建物が北炭の水力発電所です。1924年建設ですが未だに現役で4・5月の融雪期に活躍しています。

夕張鉄道

夕張

もと夕張鉄道で北海道内初の液体式内燃動車が実は現役で茨城の鹿島鉄道で頑張っています。残念ながらその鹿島鉄道が2007年3月に廃止が決まりました。現在この車両は大事に保存されています。

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