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国鉄バス 羊蹄・洞爺線 (昭和43年)

国鉄バス時刻表

昭和43年6月弘済出版社「道内時刻表」より

昭和43年は高度成長期、北海道もまだ過疎化がそれほどでもなく、離農や廃坑などで現在は地図から消えた小さな集落が道内各地に点在した活気がある時代ともいえます。今回も私が好むマイナー路線を紹介したいと思います。私とはとっても縁が薄い、道央の豊浦から真狩方面を結んだ国鉄バス「羊蹄・洞爺線」です。

国鉄バスといえば、鉄道駅から鄙びた地域を結ぶ路線が多いことが特徴ですが、この伊達管内にあった国鉄バスもまさにそんな路線が多かった気がします。JR化後も伊達市内中心に細々営業していたようですが1996年には全面撤退しています。周遊券持っていた私も結局乗ることなく終わりました(涙)

私が利用しようと思った時代には残念ながら羊蹄・洞爺線ともに廃止されておりました。洞爺線だったら観湖台もあるのでちょっとは使えた路線だったかもしれませんね。何と言っても洞爺といえば洞爺丸台風を思い出しますね(古っ)、あっそうそうサミットでも有名でした。

さて時刻表を見ると、洞爺線は終点の向洞爺まで3往復と生活路線としてそれなりに体裁がありますが羊蹄線は酷いですね(^^;;すでに1日1往復だけです。

1日1往復でも例えば真狩を朝出る便と、夕方に帰る便があれば生活路線として最低限の配慮がなされているといえますが、時刻表を見るかぎり、全くそんなことは無く、何となく行って、ちょっと休憩して戻るという、路線維持のために何となく残っているようなダイヤです(苦笑)これでは地元の人は、泊りがけの用事でもない限り利用が出来ず、乗り潰しの物好きしか乗れないような路線です。

元々は羊蹄線、昭和23年に豊浦と真狩より先の胆振線京極駅(廃止)まで結んだの始まりです、あの時代にすでに末端は廃止され真狩までも1往復ですのでよほど利用者もいなかったんでしょうね(^^;;

ちなみに昭和46年には村で代替バスを走らせていますのでその頃廃止されたと思います。

この辺り、胆振線の代替バスで通っただけなので恐らく真狩村には行ったことすらありませんが羊蹄山の山麓のいい村なんでしょうね♪折角なので時刻表に載っている集落のひとつ「川崎土場」をピックアップしてみたいと思います。

昭和61年の住民基本台帳によると

真狩村川崎地区(68人) 山林地域 川崎小学校あり。

さて明治初年にアイヌ2戸が平和に暮らすコタンに過ぎなかった真狩に、明治30年ごろから四国を中心に開拓者が入植し始めました、こちらの地区は、神奈川県人の川崎芳之助氏が入植し川崎農場が開設され地名になっています。

林業も盛んで付近の木材(輸出用鉄道木材)を集積する場所として川崎農場の付近に土場が築かれたことがバス停名「川崎土場」所以です。

明治34年には南御保内(現川崎)に官設の駅逓所(昭和15年廃止)が設けられ、明治44年には簡易郵便局も設置され、川崎地区は開拓の拠点になったようです。ただその後の室蘭線や殖民軌道(真狩〜狩太)の影響で人や物資の流れが変わり、次第に寂れていったようです。

川崎地区にあった川崎小学校は明治38年開校しましたが、昭和62年に閉校し、近くの御保内小学校に統合されたようです。こちらの学校はまだあるようです。閉校時の児童は5名だったそうです。過疎化でバス路線だけでなく、毎年のように学校も無くなる時代です。ふるさとの学校が無くなることは、地区の人だけでなく、卒業生もきっと寂しい思いをしていることでしょう。

今回も脱線して、真狩村川崎地区に焦点を当てていました。。。

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