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稚内 天北線アイヌ語地名さんぽ(声問〜樺岡)@
大好きな稚内に来た以上は、ただでは帰れません!だってお金はそんなに掛かってないですが時間と体力は使ってますし(大笑)僕には何らかの成果が必要なのです(笑) そう勝手に自分に言い聞かせ、短い稚内滞在時間をいかに有効に使うかを考えながらチョロチョロ動き回った2008年3月29日の記録です。そう私が丸1日いるのはこの日だけなのですから〜♪ 薄っすら雪化粧の抜海駅への道、僕の乗せる始発列車が待機中 2008年3月29日、いっぱい晴れてと願って寝たものの、朝は予報通り寒く小雪交じりでした、今日の宗谷の天気予報は「くもり」最高気温3度と昨日と殆ど同じ予報でした(^^;;始発列車は私のほか、高校生が4人ほど、春休み中とはいえ少ない(涙)、それにしても週間予報が当たるとは・・・・大本営並と思っていたのに・・・ブツブツ(^^;;; 本当はお客さんがどさどさ降りる写真を撮りたかったが・・・・・ 南稚内で高校生が降りると、南駅より駅員さんが一人乗っただけでまともな乗客(?)は私だけ、ちと寂しい(^^;; 稚泊航路・そして稚内桟橋駅ゆかりの北防波堤ドーム バスまで時間があるのでしばし寄り道、「ボォ〜〜♪」あれ、あっそうだ21日から春ダイヤだった、しまった、利礼航路に最初に行けば(涙)なんて思い埠頭へ行くと 遠くへ去っていました(^^; あちゃ〜やってもうた、あほじゃ(笑) 20年の5月11日で役目を終える予定の稚内フェリーターミナル 舟も去り無人状態、しまった勿体無いことを・・・・気落ちしてバスターミナルへ歩く こちらは穴に落ちないか微妙な稚内バ○ルの塔 駅前のバスターミナルより声問行きに乗車、リックをしょって観光客姿に見える(?)私に運転手氏が「これ宗谷岬行きでないよ」と親切に教えていただく。私も「声問」に行くことを告げ事なきに・・・そう私は声問に行くC級観光客なのです(笑) 声問バス停 朝は天気が悪くて宗谷岬方面も雲隠れ バスは市内をのんびり走り、声問到着ここまではたしか270円と安い、天北線もここから稚内までの列車があったほどの大きな集落でバスも1時間に1本はあります。地名はアイヌ語のコイトイェ=コイ・トイェ(波・崩す)からで波のため海岸の砂浜が切り崩される地名に使われ、道内各所に割合見られる地名です。声問川の河口近くを読んだ地名です。また江戸時代はこのあたりをクシャフ=クチャ・プッ(狩小屋・川口)と呼ばれていました。ちと寒いぞ! 天北線、廃線記念はがきで見る声問駅 今回は天気が悪かったためチャリは中止となり、徒歩になったので目の前の駅跡すらよりませんでした。とほほっ 声問の集落にいる可愛いわんさん 声問といえば、河口部近くにいるこのめんこいハスキー犬も見たかったが今回は断念、また見に来るわん♪待っててわん♪ 声問レンガの旧秋田木材発電所をバックに宗谷バス さ〜気合を入れていざ樺岡めざし、とほほの旅が始まります(^^;天気は小雪、シュプントー(大沼)方向に歩いていたらさっき乗ったバスがノシャップ行きになって走り去っていきました。 宗谷廃バス ここれは、凄い廃バス、秋田木材近くにありましたが北の厳しい気候のためぺッタンコに 白鳥大橋より声問川、建物の手前に沿って天北線が走ってました。 声問川ですが、以前はシュプントー(大沼)より海岸部まで、シュプントー=シュプン・トー(うぐい・沼)より奥を幕別川と呼んでいましたが、融雪期の洪水発生を防ぐため河川改修やバイパスができ今では一括して声問川と呼ばれています。もちろん地元では今でも幕別川とも呼ばれています。この付近、冬季はテントが並びチカ釣で賑わいます。 天北線跡(稚内空港付近)当時より両側に誘導灯が横切ってました。 天北線になんと1日だけ存在した幻の駅「東声問駅」は空港近くのこのへんだったんでしょうか?1987年6月1日限り、稚内空港新滑走路の完成に合わせて設置された地元でも殆どしられていない幻の駅です。実は、私のブログからこの東声問を利用したお二方の経験談を教えていただきました(感謝) その話によれば、新滑走路完成で就航するジャンボ機を見るため稚内空港に学校で天北線を利用したようです。普通の線路に止まったような記憶があるそうなのでやはり、簡易ホームなどもなかったと思われます。(1日だけだから当然ですが・笑)北海道の場合、国鉄時代は仮乗降場の他に線路端に停車する列車も、管理局が認めた場合はあったようですのでそんな類と思われます。 また、場所は緑と太陽の村付近に止まった記憶があるそうです。空港へはこの付近の道ともう一本ターミナルに近い道がありますが、こちらの近くに止まった可能性が高いようです。こんなC級な小さい歴史にお付き合い頂きありがとうございます。(笑)天北線はとにかく何でも好きなんです。 2年後に天北線は廃止されています。 幕別平野とシュプントー方面(手前が天北線跡) 今では死語に近い幕別平野、利尻をはじめて見たのが天北線の幕別平野からだったので利尻ファンの私としては本当に思い出深く、個人的にも好きなところです。サロベツ同様ここも広い原野です。 恵北地区にあるチャシ山 恵北方面にしばらく歩くと、標高35メートルの地元でチャシ山と呼ばれる小丘があります。チャシはアイヌ語で砦・柵・館などを指しますが、過去の文献や地図には出ていない地名です。ただこちらには恵北遺跡が出土していることから地元でチャシ山と呼んでいるのかもしれません。 現在は緑と太陽の村(キャンプ場)となっています。東声問停車の列車もこの付近で停車したのかもしれませんね♪ 天北線代替バス 音威子府行き 天北線が廃止され19年、バスも現在は2代目、今年の日刊宗谷の記事によれば利用客は沿線の住民の過疎化や少子化で廃止当時の4割ほどにまで減少しています。距離は150キロ近くもある日本一長距離の路線バスが、いつまでも地域住民の足として残ることを願っています。稚内側からだと、声問や沼川までのお客さんが殆どのような気がします。 しばし歩いてようやく恵北(旧幕別)の集落に 声問から5Kほど歩き、天北線の駅があった恵北に到着、昔は幕別と呼ばれた地名でしたが、昭和38年に恵北に改名されました。(涙) 十勝に幕別町がありそちらの駅は止若(ヤムワッカ=ヤム・ワッカ:冷たい・飲み水)と言われ国鉄の荷物が毎年数十件間違って届くことや幕別町が駅名を止若から幕別に変更したいため幕別町や国鉄旭川鉄道管理局より再三、稚内市に打診され地元での何度かの話し合いにより、残念ながら稚内の幕別が消えてしまいました。 実は改名の際、一度、天北の地名にしようと決まったのですが、国鉄より天北線の天北駅なのに急行列車が止まらない駅ではおかしいとのクレームが付き現在の恵北になった経緯があります。恵北の地名にも歴史ありです。(^0^) その天北線も、以前は宗谷線を名乗っていましたが幌延側が開業後に北見線になり、石北線に北見駅があるので後にまた天北線に変更された歴史があります。 天北線 恵北(幕別)駅跡 恵北駅の跡には今も駅前に開業記念に植樹されたイタヤの木が残り、恵北開基100周年の記念碑が飾られています。バス停横には綺麗な公衆トイレがあります。恵北は明治35年の大竹牧場入植により開かれた集落です。 明治時代の地名辞典に幕別川を摩君川(マクンベツ)の当て字がされています。もし摩君だったら、いまも摩君別として残っていたかもしれませんね。 天北線、廃線記念はがきで見る恵北駅 郵便局も今はない。右の木が残る 恵北にある増幌小中学校 以前は恵北小中学校でしたが、増幌地区の学校と統合し現在に至っています。学校裏手の山は地元で通称タンク山と呼ばれ石油採掘が行われた時代がありました。 タコ部屋近く? 大正年間の宗谷線(天北線)開業の際には樺岡〜幕別間にはタコ部屋があったそうです。雪で碑はみつけることができませんでしたが碑もあるようです。恵北の学校のちょっと樺岡より、また、樺岡の手前4Kの川近くにもタコ部屋があったようです。苦労して作った鉄道も今は土に帰りつつあります。 天北線跡 樺岡方面を臨む 雪もある程度とけ、草も茂らない今が一番分かりやすい?そう考えると運が良かったなと嬉しくもなります。 晴れてきました♪ あら、晴れてきました。嬉しい嬉しい(^j^)、青空があると林がより美しく見えます。 晴れると気持ちいい林にみえるから不思議 あ〜本当に気持ちがいいし、楽しい。 川も生き生き マクンベツ この川地形図では名前がありませんが、土木協会の河川図ではマクンベツ川となっています。ちなみにマクンベツ=マク・ウン・ペッ(奥に・に入る・川)からきています。はたして本当のマクンベツはどこだったのであろうか?私は幕別川がやはりマクンベツであったと思いますが・・・ 春の陽射し 春の陽射しに歓迎され、ルンルンで天北線跡とほほの旅は続きます。続きはそのうち作ります。(保障なし・笑) |