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千島写真館
このコーナーでは現在ではなかなか行けない千島を古写真で紹介します。 得撫丸(上記写真):オットセイやラッコなどの海獣保護・密漁防止・中部千島への物資連絡をはたした船です |
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色丹島 写真は村の中心地の斜古丹です。高山植物が豊富で国立公園の候補地にもなった美しい島です。明治時代に北千島のアイヌが強制的に移住したことでも知られています。アイヌ語のシ・コタン(大きい・村)または、村の中心のシャコタンからきているかも知れません。
国後島 知床や標津から良く見える国後島、アイヌ語のクンネ・シリ(黒い・島)、キナ・シリ(草の・島)などの説がありますがはっきりと分かりません。写真はクサリチ(材木岩)といわれた柱状節理の美しい名所でした
国後島の近布内にある蝋燭岩、超巨大サイズの岩で岩が白く見えるのは鳥の糞だそうです。アイヌ語のチカップ・ナイ(鳥・川)が意味するように、たくさんのオロロン鳥やエトピリカのいる鳥の楽園だったようです。人間はこの写真で5〜7ミリぐらいなので本当に大きい岩です
択捉島 長さ203キロと千島最大の島です。写真は内保沼から見た単冠山です。江戸時代に近藤重蔵が大日本恵登呂府の碑を標柱てたことで知られています。アイヌ語のエトロフ=エトゥ・オル・プ(岬の・処・もの)からきています。
得撫島(ウルップ) 長さ120キロで中部千島最大の島ウルップ島、アイヌ語のウルプ(紅鱒)からといわれています。島はオットセイやラッコもたくさん繁殖する自然豊かな島のようです。写真は温泉崎付近で海浜近くに温泉が湧出していたようです。
得撫島小舟港、太平洋岸の島一の良港ですが見てのとおり小船用です。南下してきた露人と択捉アイヌとの戦のあったところでもあるようです。またアウレト人がラッコ猟に使っていた港でもあります。
新知島(しむしる) アイヌ語のシモシリ=シ・モシリ(大きい・島)からといわれています。写真は清水川付近です。戦前日本が狐の養殖を行なっていた島です。
計吐夷島(けとい) アイヌ語のケツ・オ・イ(獣皮干す張枠・多い・処)で、ラッコなどの獣皮を良く干した島かもしれません。波も高く、ガスもかかり、島は絶壁に囲まれた自然環境の厳しい島のようです。
中部千島越年舎:中部千島は山岳起伏し殆ど平地無く・濃霧多く開拓の難しい場所です、政府は海棲貴重獣の蓄殖場とし毛皮動物の牧場に当たっています。また腸肭獣保護条約の義務遂行に備えていました。ウルップ島からオンネコタン島に設けられていたようです。
宇志知南島(うししる) 千島一の絶景といわれた幕田湾の風景、湾に浮かぶ島は溶岩ドームで千島列島が火山列島であることを教えてくれる景色ともいえます。1度でもいいので眼にしてみたい風景です。アイヌ語のウシ・シリ(湾の・島)からと思われます。
羅処和島(ラスシュア) 戦前は狐の養殖場のあった島です、写真は大沼湿原で貴重な高山植物が生育していました。アイヌ語が語源と思われますが意味は不明です。
松輪島(まつわ) 写真は標高1458メートルの芙蓉岳(松輪富士)でコニーデ型火山として見ても分かりますが非常に美しい火山です。戦前は日本軍の基地や飛行場があり最大時で7.8千人の守備隊が駐屯していたようです。アイヌ語のマート・ワ(波打ち際の屈曲した・岸)からかもしれません。
温禰古丹島(おねこたん) アイヌ語のオンネコタンからで、オンネ・コタン(大きい・村)からです。戦前は狐の養殖がなされていました。濃霧が多く夏でも根雪が残り夏でも火気が必要な島です。
阿頼度島(あとらそわ) 千島最北の島で島の最北にある最北岬(名前がそのままなのが笑えます)は北緯50度55分で占守島の国境岬より北に位置し日本の最北端でした。島にあるアライト山は2339メートルの富士山型の立派な山で北海道最高峰の旭岳より高い山でした。
幌筵島(ぱらむしる) 択捉島につぐ千島第2の大きい島で、明治の初めまでは千島アイヌが一番居住していた島です。昭和の初めは鮭・蟹・鱈・鯨などの漁業基地として栄え漁期には万を超える人々がやってきたそうです。アイヌ語のパラモシリからで、パラ・モシリ(広い・島)からです。写真はちくら岳の写真ですがアイヌはジャコムシケと呼んでいたそうです。
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