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天北線周麿付近のアイヌ語地名
宗谷バス天北線の周麿バス停、後ろには美しいピンネシリが聳え立ち牧歌的な気持ちの良い場所です。(路線バスは稚内・音威子府方面より1日6本) |
今回は私が個人的に大好きな天北線(恵野〜中頓別間)の周麿中心のアイヌ語地名を天北線在りし頃の写真と現在(2005年)の写真をまじえて紹介したいと思います。 (尚、周麿駅の写真は持っておりませんでしたのでリンクにあるKei様のサイトからご許可を頂き使用しております。この場をかりて御礼申し上げます) 平成元年に廃止された天北線(音威子府ー南稚内)のこの区間は中頓別町の区域で山間部を走り車窓からはピンネシリやマツネシリ・珠文岳の山並みや牧場など北海道らしい風景の広がる区間でした。 天北線の列車よりピンネシリを臨む(たぶん恵野駅)黒いのはカメラのひもです。ごめんなさい! 恵野を出発すると右手にピンネシリや頓別川を見ながら敏音知を目指します。途中、頓別川は敏音知の集落の手前で稚宇遠川とマップの沢川に合流します。 稚宇遠川は明治の陸測図ではワッカウエントーウンペッと記載されて居ます、アイヌ語のワッカ・ウェン・トーウンペッからで(水・悪い・頓別川)になります。きっと飲み水に使えないことからきた地名です。此川は明治時代ゴールドラッシュに沸いた川のひとつです。 こんな仮乗降場あったらいいなと思い仮想でつくりました。 次のマップの沢川は語源がわかりません。アイヌ語の〜オマ・プの略された形だと思われます。 まもなく敏音知に到着します。駅は現在道の駅になり駅跡にはモニュメントがたっています。また温泉もあり宿泊することもできます。 天北線敏音知駅名標、英語の部分が左によった駅名標でした。 天北線敏音知駅入場券 廃止記念スタンプ(思い出お〜い天北線乗車記念より) 天北線沿線郵便局が出した絵葉書より(関係ないC623がいるところがミソです。) 敏音知ですが、アイヌ語のピンネシリからで、ピンネ・シリ(男の・山)からです。もちろん背後にそびえるピンネシリからきています。 敏音知の集落をすぎてすぐに頓別川に合流する無名の川ですが、明治図にはトレロオマップと記載されています。この川もゴールドラッシュで賑わった川の一つですが意味はわかりません。 そこから2キロほど先で頓別川に合流するチェビタウシナイ川ですがアイヌ語のチェプ・タ・ウシ・ナイ(魚・捕る・いつも〜する・沢)からきています。ちなみに明治図にはチエピタウシペッと記載されています。こちらを訳せばチエ・ピ・タ・ウシ・ペッ(我ら食う・種子・採る・いつも〜する・川)とも訳することができます。おそらく魚をいつも捕っていた川だと思われます。 敏音知〜周麿間に見える夏のピンネシリ 敏音知〜周麿間に見える冬のピンネシリここからは尖った山容 美しい車窓を楽しみながら(代替バスからも車窓がいい区間です)2kほどで周麿川をわたります。アイヌ語のシュマルプネプからで、シュマ・ルプネ・プ(石・ごろごろある・もの)からきています。私の大好きな地名の周麿ですが写真のを見てもアイヌ語どおり石がゴロゴロしている川です。 石ゴロゴロの周麿川とピンネシリここからの山容は富士山型です。 周麿川をわたると周磨駅跡に着きます。天北線の駅名標には周磨で地名と駅名の字が若干違っています。 Kei様より頂いた現役時の天北線周磨駅、磨の字が違っているところがミソ 天北線ありしころは写真の通り板張りだけの簡易乗降場でした。駅名や風景をみてすごく気に入ったのですが反対側に座っていたので写真をとっていなかったのが心名残です・・・ 2005年夏の天北線周磨駅跡、中央に線路が走り右側の草むらに板張りの短いホームがあった小さな仮乗降場でした。 天北線周磨駅ホーム跡よりピンネシリを臨む、現在も樺の間から美しいピンネシリを見ることができます。 また、ここに線路をひいて板張りの周磨駅ホームや軌道自転車に乗れたら本当に楽しいだろうと思います。 周麿バス停と天北線代替バス(1日6往復)右側の林のなかが周磨駅跡です。 周磨駅跡より500メートルほど中頓別方面へ向かうと天北線の霞川橋梁を現在も見ることができます。 冬のピンネシリと天北線霞川橋梁(実際の川名は中の川) ここから3キロほど進と松音知の集落に着きます。松音知には現在も貴重な駅舎が残っています。(個人所有のようですので見学は注意:画像はご指摘を受け、削除しました、ご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。) 冬の天北線松音知駅舎とピンネシリ、雪が深く近づけません。尚、ピンネシリの左裾の小さくぽこんとした山が目だちませんがマツネシリと思われます。 松音知ですがアイヌ語のマツネシリからで、マッネ・シリ(女の・山)からきています。ピンネシリから比べると随分穏やかな山容です。男女仲良くペアになっている山です。他にも道内には後志の羊蹄山と尻別岳や空知のピンネシリと待根山、釧路の雄阿寒と雌阿寒がピンネシリ・マツネシリの関係にありました。 松音知駅のあった集落付近で頓別川に合流する無名の川ですが明治図ではライピナイ=ライ・ピ・ナイ(死んだ・石・沢)と記載されています。おそらく水が殆ど流れないような沢だったことからきています。 松音知より3キロ程先の土方の沢川ですが明治図にはチェプウンペッ=チェプ・ウン・ペッ(魚・いる・川)と記載されています。 そこから1キロほど進と天北線時代仮乗降場のあった上駒に着きます。上駒ですが知駒内川の下流部にあり、神社も知駒神社があるのでなぜ上駒になったのか気になるところです。 現役当時はこのようなの天北線 上駒駅名標でした。(自作の合成です) こういう仮乗降場があっても良かったかなと仮想の駅名票 知駒内川ですが、アイヌ語のシュルクオマナイからで、シュルク・オマ・ナイ(トリカブトの根・ある・沢)からきています。アイヌにとってシュルクは狩猟の毒矢に用いるために重要なものでした。 上駒から3キロほど進と兵知安川を渡り、中頓別市街に着きます。 天北線 中頓別駅名標 天北線 中頓別入場券 廃止記念スタンプ(思い出お〜い天北線乗車記念より) 現在駅跡は宗谷バス中頓別バスターミナル(待合所)に 兵知安川ですがアイヌ語のペーイチャンからで、昔の地名にパンケイチャンがあったことから、ペンケ・イチャン(川上の・鮭の産卵場)の略されたものと考えられます。 明治時代砂金堀で賑わったペーチャン川は現在も砂金堀体験ができ中頓別町の観光名所のひとつになっています。 中頓別より珠文岳・ポロヌプリを臨む、この山並の左側にカムイミンタラがありました。 石北線、釧網、天北線などの旅は下記画像をクリックしてください。 |