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宗谷岬付近(鬼志別ー宗谷岬)のアイヌ語地名@

宗谷岬

旧海軍望楼より、宗谷岬とソウヤ岩(弁天島)を望む

今回は、宗谷岬周辺のアイヌ語地名を紹介したいと思います。この旅では宿「ばっかす」の伊東様のご協力を頂きました。(この場を借りて御礼申し上げます。)

鬼志別ー東浦

猿払村の中心である鬼志別、JR天北線の鬼志別駅も廃止され現在は駅跡が立派なバスターミになっています。
鬼志別

中には天北線時代の猿払村内の駅名標などが飾られた天北線のミニ資料室になっています。

天北線

また村営バスがここから知来別(10往復)や稚内市の東浦まで(2往復)運行されています。主に病院へ通う高齢者の足として利用されているようです。

鬼志別の語源ですがアイヌ語のオニシベツからで、オ・ニ・ウ・ペッ(川口に・木・多い・川)からきています。現在のオニシベツ川のことです。

明治の地図を見ると現在の市街地から河口までの枝川の地名にコオルマプク・オ・ル・オマ・プ(仕掛け弓・ある・道・入る・川)やポンナイポン・ナイ(小さい・沢)やぺサンケナイぺ・サンケ・ナイ(水・流れ下る・川)などの地名があったようです。

オホーツク海の国道を北上すること3キロほどでシネシンコに着きます。

知来別シネシンコバス

猿払村営バス 知来別シネシンコバス停

シネシンコはアイヌ語のシネ・シュンク(1本の・蝦夷マツ)からきています。きっと目立つような立派な蝦夷マツがあったのだと思われます。

5キロほど北上すると集落らしい集落が表れます。ここが知来別でチライベツで、チライ・ペッ(いとう・川)昔は、いとうの棲む奇麗な川だったことがわかります。村営バス10往復のうち8往復がこの知来別まで運行されています、現在も小学校や郵便局がありそれなりの大きな街です。

知来別

知来別川

知来別をすぎると、2キロほど先に明治の地図にはポンウコイキウシナイその隣には、オンネウコイキウシナイ記載されています。車上からなので確認できませんでしたが、おそらく意味としては、ポン・ウコイキ・ウ・ナイ(小さい・ウコイキウシ沢) オンネ・ウコイキ・ウ・ナイ(大きい・ウコイキウシ沢)でウコイキ・ウは戦争すると言う意味があります。この地域でかってアイヌ同士による戦争があったのでつけられた地名かもしれません。

ちなみにウコイキを使った地名としては、別海にある奥行臼があります。北上すること3キロ程で下苗太呂川を通ります。かってはアイヌ語でイチャンベツイチャン・ペッ(鮭、鱒の産卵穴・川)と言われていました。きっと遡上する鮭も多かった川でしょう。

川を渡り、1キロほど先にある上苗太呂川までの間を、アイヌ語でナイウトロ=ナイ・ウトゥル(川・間)と言っていました。現在は地名としては苗太呂として残っています。家はポツポツ程度しかありませんでした。

苗太呂

猿払村営バス 苗太呂バス停

上苗太呂川ですが、アイヌ語ではエレクトペツと呼ばれていましたが、意味は良く分かりませんがもしかするとエ・レ・クト・ベツ(川頭が・曲っている・岩崖ある・川)の転訛かもしれません。もちろん推量に過ぎません。

4キロほど北上すると、村営バスの終点、東浦に着きます。現在は1日2往復が鬼志別より乗り入れしますが、昭和47年の時刻表を覗くと宗谷バスが4本同区間を運行していたようです。東浦ですがかっては杖苫内と呼ばれていたのが改名されました。前の地名のほうが素敵だったと思うのは私だけでしょうか?

東浦

稚内市の東端 杖苫内  (現 東浦)

東浦−峰岡

杖苫内ですがアイヌ語で、チエトイオマイ=チエトイ・オマ・イ(食用粘土・ある・ところ)で昔はこの辺りの土を食していたようです。

現在、集落のある当たりにはアイヌ語のラニと明治の地図に記載されラン・イ(坂の・処)と訳せ後は確かに段丘になっており坂になっています。

又、東浦の集落の先にある岬になっている部分にはアシリコタン=アシリ・コタン(新しい・村)と読んでいたようです。アイヌ語のコタンは一軒でもコタンを使うので、日本人の村というほど人は住んでいなかったことと思われます。

ここより国道は現在峰岡にかけて内陸部を走りますが、かっては海沿いの道だったようです。現在は波に浸食されてあまり面影を残していないようです。5キロほど走ると峰岡に到着します。

峰岡はアイヌ語でトゥキマイトゥキ・オマ・イ(酒椀・ある・処)と呼ばれ、近年まで時前と当て字をされていましたが改名されています。トゥキマエの意味からも分かるように山側を見るとまさにお椀を逆さにしたようなモイマ=モ・イワ(小さい・山)が見えます。

モイマ山

目梨川沿いの国道より見た モイマ山

現在の時前川が昔はアイヌ語でクリキントゥキマイと呼ばれ栗金時みたいですが意味はわかりません。

モイマ山ですが、国道と目梨川が合流し海が見える地点からその美しい山容を望めます。このモイマ山は、堀氏の北海道地図を紀行するにも紹介されています。

宗谷

目梨川よりかっての国道(海岸線)を望む

時前ー宗谷岬

目梨川のあるあたりは目梨泊と呼ばれていました。ここから5キロほど先の泊内川のある当たりまでに明治図では、アイヌ語のオサウシナイ=オ・サ・ウ・ナイ(川口・海側に・つけている・沢)やポロアメリカナイ(アメリカ部分の意味が不明です。)の地名があったようです。

現在も川名で残る泊内はアイヌ語のトマリナイ=トマリ・ナイ(入江・沢)に由来します。

この付近から山側を見ると現在は丸山と呼ばれる山が見えますがこちらも以前はモイマ山と呼ばれておりアイヌ語のモイワが語源になっています。

宗谷

モイマ山(現 丸山)

泊内から3キロほど北上すると、海上に現在竜神島と呼ばれる小さな立岩状の島が見えますが昔はアイヌ語でチシヤ=チ・ヤ(立岩・陸岸)と呼ばれていたいました。写真でも立岩状になっていることが分かります。

宗谷

国道よりチシヤ(現 竜神島)を望む

このチシヤ付近から運良く真っ白な樺太を見ることが出来ました。(写真では分かりませんが・・)

チシヤの先にある川(現在無名)は明治図ではオプカルシナイ=オプ・カ・ウ・ナイ(槍・作る・いつも〜する・沢)で、槍などを作る沢だったようです。

ちょっと北上すると大岬の集落に入り最初の川が現在鬼切別川で、明治図にもオニクィウシュベツ=オ・ニクル・ウ・ぺッ(川口・林・ある・川)かもしれませんがはっきりしません。

この鬼切別ですが、宮城県にある鬼首(おにこうべ)は、昔、朝廷と奥州の安倍氏の古戦場が鬼切部(おにきりべ)といっていたので語源的には一緒かもしれません。

大岬ですが以前は知臼(しりうす)と呼ばれていました。アイヌ語のシリウス=シリ・シュツ(大地・根元)の転訛のようです。集落に入り、稚内からの路線バスの終点大岬(1日4・5往復)あたりにある次の川がエタンネナイ=エ・タンネ・ナイ(頭・長い・川)で川頭が長かったので名付けられたようです。

やがて土産物屋や民宿が並ぶ市街地(久々の大都会)を抜け海が見えるとそこが宗谷岬になり、石碑や弁天島が見えます。

宗谷岬

宗谷岬バス停と宗谷バス稚内行き

弁天島は松浦武四郎の日記にはソウヤ岩として出てきます。

また、宗谷岬バス停から上の階段を上ると明治35年に帝国海軍が建てた望楼が残っています

宗谷岬

旧海軍望楼

ここからの風景は眺望がききとてもいいところです。

宗谷岬

旧海軍望楼から見たシリウス(現 大岬)

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