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留萌線(留萌〜増毛)のアイヌ語地名

留萌本線

終着駅らしい雰囲気が漂う増毛駅、列車の上に見える可愛い灯台が港町らしさを表しています。


今回はJR留萌線の留萌〜増毛間のアイヌ語地名を写真を交えながら紹介いたします。

留萌本線

昔のサボ、モイの字が現在と違います。

昔は鰊漁などで景気が良かったのか留萌線の留萌増毛間には、私の昭和43年道内時刻表には急行1往復を含め11往復の列車があったようですが、現在は1日6往復です。

留萌駅

駅舎は大きく立派な留萌駅

留萌駅

昔は石炭積み出し港でも有り、石炭専用の貨車セキが見られMした。

かっては留萌から羽幌線やさらにその奥には天塩炭鉱鉄道も分岐していましたが、今では綺麗さっぱりなくなっています。

留萌駅

今では無くなった羽幌線の跨線橋が見えます。

留萌駅

今はなき羽幌線ホームの駅名票

留萌駅

羽幌線ホームのりば案内

まず、留萌ですがアイヌ語のルルモッペからで、ルル・モ・ぺ(潮入の・静かな・もの(川))からきています。左側に寄り添ってきた大きい川がその語源になった留萌川で、現在は駅近くにあるルルモッペ大橋が名残を留めています。

留萌駅

冬は厳しく雪も多い留萌駅

留萌駅

海水浴臨時列車かもめ号(近頃は運転していません)

列車は発車するとまもなく鉄橋を渡り、左へ90度曲がります。

この曲がり角から1キロほど先に黄金岬という随分と立派な名前の岬がありますが、昔はアイヌ語でシレトと呼ばれ松浦武四郎の蝦夷日誌にも本名シリイトなり。峨々たる岩石海岸へ出突する也と紹介されています。駅からは徒歩30分ほどの距離です。

まもなく目の前に日本海を見ながら瀬越駅につきます。昔はセムシまたはセムイと呼ばれたようですが意味はわかりません。

列車は相変わらず、日本海に沿いながら走ります。瀬越駅から1キロちょっと先に5年程だけ存在した浜中海水浴場臨時乗降場がありましたがその間にある小さな沢にはオタロマセタベツ・アッカルウシナイがあります。アイヌ語のオタ・オ・オマ・セタベツ(砂浜・中・ある・セタベツ川)とア・カ・ウ・ナイ(ニレ皮・取る・いつも〜する・沢)からきています。

セタベツ

あってもいいセタベツ駅

また、その臨時駅跡を過ぎてすぐ渡る川がセタベツ川です。アイヌ語のセタ・ペ(犬・川)からです。集落や海水浴場もあるので仮乗降場ぐらい又欲しい場所です。

セタベツ川を過ぎ、小さな漁港と神社のある場所はピラ(崖)と呼ばれていました。この辺り自体ず〜っと段丘が続いています。

まもなく学校や郵便局を過ぎて礼受駅につきます。アイヌ語のケプからで、レウケ・プ(曲がっている・もの)からきています。

礼受駅

日本海が見えて気持ちがいい礼受駅

次の阿分駅へは1キロちょっとですが、その中間に地図上でヒヒナイとある地名は、アイヌ語のシュシュウンナイ(柳・ある・沢)が転訛したものと考えられます。

列車は海を見ながら、目の前に小学校がある、魅力的な駅名の阿分駅につきます。松浦武四郎の日誌にはアフセ・アフリと訛るなり。漁小屋有。夷人小屋・小川有るなり。と記されています。明治図にはアフニと記されています。

阿分駅

小学校が目の前の阿分駅、列車より。

アイヌ語のアフン(入っている)からきています。おそらくは、アイヌ語のアフンパ(入っている・口)が略された地名だと考えられます。意味的にはあの世への入口など近づくことをタブーとされた地名です。うまい当て字で残った地名です。

阿分を出た列車は海を見ながらトンネルを越え、やがて信砂川を渡り、信砂駅に到着します。アイヌ語のヌプシャからで、ヌ・サ(原野・浜)またはヌ・サ(原野・傍ら)と思われます。武四郎の日誌にはノブシャと現在と同じ読み方で紹介されています。

信砂駅

信砂駅名票

駅前の海岸線に現在の地図にもヒコベという地名が見えます。武四郎の日誌にもシコヘと紹介されている地名ですが、アイヌ語のシ・コ・ペ(大きい・窪地・もの)からでしょうか?はっきり分かりません。

列車は北海道最短距離の900メートルで次の舎熊駅につきます。アイヌ語のサックマからでサ・クマ(浜・魚干棚)と考えられます。

舎熊駅

国鉄時代の駅名票(現在はありません)

列車はやや山側を走り、小さい朱文別川を渡ると1.7キロ先の朱文別駅につきます。アイヌ語のシュプンペツからで、シュプン・ペ(うぐい・川)からです。

朱文別駅

朱文別駅名票

列車は海を見ながら、箸別川を渡ると1キロちょっと先の箸別駅につきます。アイヌ語のハシベツからで、ハ・ペ(潅木・川)からきています。

箸別駅

箸別駅名票

列車は発車すると、増毛港の見える湾に添いながら大きな集落の有る終点増毛に到着します。この湾を昔はポロモイ=ポロ・モイ(大きい・入江)と呼んでいました。

増毛駅

2005年夏の増毛駅

増毛市街自体は現在も地名で残っていますが昔はノッカ(岬・上)と呼ばれていましたが、浜益にあったマシケ場所がこの地に移ったため地名が移った歴史があります。浜益は場所が移ったためにハママシケと呼ばれていました。マシケ自体は、マ・ケ(かもめ・処)からです。

増毛駅

昔の増毛駅名票

増毛自体は昔ながらの町並みや作り酒屋など見所も多いのでぜひゆっくり散策されることをオススメします。

増毛駅

80年代の増毛駅、昔のキハ40の色が懐かしい。

尚、増毛から雄冬の地名につきましては仮想・DMVで行く雄冬付近のアイヌ語地名を御覧下さい。

増毛駅

80年代の増毛駅

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