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明治樺太地図A (中知床・大泊)

明治樺太地図 中知床

明治38年発行の樺太地図

特徴:日本陸軍が樺太を占領して間もない時期の樺太地図、殆どがカタカナ表記で漢字の地名は一部のみアイヌ語地名やロシア語の地名が混在しているのが一番の特徴です。

地図上の主な地名 (南から)

@重蔵岬(シレトコ・アニワ)

昭和時代の中知床(ナカシレトコ)岬、江戸時代のシレトコに該当、樺太の細長い知床半島の突端でまさに地の果てといった場所、ロシア名はアニワだったのでしょうか現在は旧留多加がアニワになってますが。それにしても重蔵岬が定着しなくてよかった。やはりここはシレトコこそ似つかわしい地名です。

A東伏見湾

昭和時代の亜庭湾、東伏見宮様にちなんだ地名か?ここも亜庭湾のほうが個人的にはいいですね。

Bバワロウエチ岬

樺太の知床岬近くの東に面した岬、昭和時代に該当地名なく、露語地名と推定される、反対側のスリウバ岬も同様であろう。

Cポンポトナイ

昭和時代の樺太知床半島東岸:保多(ホタ)に該当、旧称が地図と同じくポンポトナイまたはポンオタナイで、そのまま訳せば小さい砂浜の沢と考えられる地名である。

Dシセーカ

昭和時代の樺太知床半島東岸:節句(シセエッカ)に該当、アイヌ語でシ・セ・カ(大きい貝殻の岸)といった地名なのでホタテの貝殻なんて沢山あった海岸だったのかもしれません。

Eムラーモルヌイ

昭和時代の樺太知床半島西岸:近泊(チカドマリ)に該当、アイヌ語のような地名だが随分訛っていてもとの語源が不明な地名、近泊のチカはチカップ(鳥)を意味するアイヌ語からきた地名である。

Fレウエルン岬

昭和時代の樺太知床半島東岸:乳根岬(チチネ)に該当、アイヌ語のレ・エンルン(山向こうの・岬)またはレウケ・エンルン(曲がっている・岬)からきた地名と推定されます。

Gコチエベツ

昭和時代の樺太知床半島西岸:胡蝶別(コチヨベツ)に該当、なかなか気が利いた当て字のアイヌ語地名である、原名はコツヨオホツペらしい谷がある深い沢からきた地名か。

Hカモエカシ

昭和時代の樺太東岸:神居(カムヱ)に該当(地図上樺太東岸一番上)、カムイケウシまたはカムイクシと呼ばれていた地名で神様の通る所と言った意味があり、アイヌにとっては通ることが非常に難解で畏れ多い地であったことが窺い知れる地名である。どんな地形かぜひ見たい場所である。

Iフツセコ湖

昭和時代の湖:和愛湖(ワアイ)に該当(地図上の知床半島付け根付近の湖)、どちらにしても難解な地名です。

Jチビサニ

昭和時代の池邊讃(チベサン)に該当(和愛湖近く)、アイヌ語のチプ・エ・サン・イ(船・そこで・浜に出る・ところ)からきた地名。

Kメレー

昭和時代の女麗(メレー)に該当、江戸時代はメレイ、アイヌ語系の地名と思われるが語義は不明である。日露戦争時、樺太占領した日本軍の上陸地点として知られ有名だった女麗です。

Lコルサコフ・ホロアントマリ

昭和時代の大泊(オオドマリ)に該当、江戸時代は久春古丹(クシュンコタン)、文字通り江戸時代や日本領有時代の樺太の玄関口、ここから稚内へ航路が開かれていました。大泊の地名はアイヌ語地名のポロアントマリを意訳した地名ですができれば伝統ある久春古丹がいい地名だったと思います。長すぎた?地名が嫌われたのかもしれません。

樺太地図 

昭和2年発行の樺太地図(白主・能登呂)方面

上の時代の樺太地図と比較してお楽しみください。

樺太地図 

今回紹介した、中知床・大泊は樺太でも、稚内(北海道)に近い黒枠内の地域です。

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