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国鉄バス 日勝(上杵臼)線 (昭和43年)

国鉄バス時刻表

昭和43年6月弘済出版社「道内時刻表」より

昭和43年は高度成長期、北海道もまだ過疎化がそれほどでもなく、現在は地図から消えた小さな集落が道内各地に点在した活気がある時代ともいえます。今回は、日高管内浦河町にある上杵臼(かみきねうす)地区を走っていた国鉄バスの時刻表を紹介します。

北海道の歴史のページで必ず出てくるのが開拓の歴史です。昔はアイヌ民族やウィルタ(オロッコ)など先住民族の大地だった北海道にも明治になり次々と開拓者が入植してきました。現在も日高には沢山のアイヌ民族の方がおられる一方で沢山の和人も暮らしています。

そんな日高管内にかっては広範囲に路線を持っていた国鉄バス、静内〜広尾までの路線部をはじめ、山間部の路線もそれなりに持っていました。(現在も浦河〜広尾の他、上野深までの路線があります。)そんな路線の中で目をひいたのがこの上杵臼への路線です。

何が魅力かといえば終点のバス停「開拓学校前」、いかにも北海道らしいバス停名です。まず都会や港町にはない学校名です(笑)。終点の「開拓学校前」までは2往復と少ないですがこの地区に住む生徒や老人が町への通院には使えそうなダイヤです。上杵臼地区だと通勤や浦河の町で一杯飲んで帰ることこできます。

上杵臼の集落より更に山間部へ7.7Kも奥地へ行く「開拓学校前」ですからどんな場所だったのだろうかと想像が膨らみます。小学校を調べると上杵臼小学校の他に1966年上杵臼小へ統合された女名春別(めなしゅんべつ)小学校もあります。

開拓学校はどちらかの学校か気になりましたが分からないため、今回は浦河町立図書館にご協力頂き調べていただきました。

その結果ですが、開拓学校は上杵臼小中学校に該当したようです。『浦河町上杵臼開拓開校20周年記念誌』(昭和46年)の地図から判断できるそうです。この上杵臼小中学校のある地区は戦後に開拓され昭和25年に開拓農業組合が創立されているので地区の通称の開拓がバス停名に使われたのだと思います。

上杵臼小中学校の廃校は1975年と早く、昭和50年代の同地区を走る時刻表の終点は「地震観測所前」に改名されています。

私が開拓学校と思った女名春別小学校はこの開拓学校(上杵臼小中学校)より更に東の奥地にあり昭和27年、上杵臼小学校女名春別分校として設置されています。廃校は昭和41年ですと早い時期に開拓者が減ったことが窺い知れます、そんな山奥にあった女名春別小学校にも昭和30年36名の生徒が通い。41年3月の廃校時でも6名の児童さんが通われていたようです。今は残念ながら無住地区です。

北海道には炭鉱や鉱山が無くなり町が消えた地区や女名春別のように自然の厳しさから離農のため無住になる町があります。これも北海道の歴史の一部です。。今は自然に帰った女名春別地区の集落や学校にも昭和30年代までは生活があったこと。。。それだけでも充分魅力的です、きっとここが故郷のかたもいることでしょう。。

ちなみに昭和61年の基本台帳を見ると沿線の人口は下記のようになっています。過疎化が進んだためかこの国鉄バスの路線も国鉄時代末期に廃止されたようです。残念ながら目名春別地区については無住になるのが早かったためか住所すら消えうせています。

上杵臼地区(304名) 地震観測所や農協の出張所がある。

杵臼地区(246名) 杵臼生活館や神社がある。

西舎(にしちゃ)(513名) JRAの牧場があり多くの名馬を産する他、郵便局がある。

今回はバスの終点より更に奥にあった開拓地 女名春別を紹介するページになりました(笑)このページは浦河町立図書館にいろいろお教え頂きました。この場を借りて熱く御礼申し上げます。

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