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択捉島

択捉島

択捉島留別村、現在は無人地帯のようです。

択捉島紗那村

択捉島紗那村


留別村
択捉島の南端ベルタルベから中央部にある留別までの広い面積を持つ村で大正12年に留別村・振別村・老門(おいと)村・丹根萌村・内保村が合併して成立、人口は昭和20年次1930人いました。漁業が中心の村です。

村内に真珠湾攻撃前に連合艦隊が集結した単冠(ひとかっぷ)湾がありました。またこの湾内にある年萌・天寧港は東海岸が流氷や結氷により、択捉への航路が途絶するため不凍港であるため利用されたようです。

また江戸時代に近藤重蔵がタンネモイに「大日本恵登呂府之地」の木標を建てたところでも知られています。

村名はアイヌ語のルベツからで、ル・ぺッ(道の・川)からきています。

また振別は、アイヌ語のフレベツからで、フレ・ペッ(赤い・川)よりきています

老門は、アイヌ語のオトイからで、オ・トゥイ(川口・くづれる)からきているようです。

丹根萌はアイヌ語のタンネモイからで、タンネ・モイ(長い・入江)からきています。

単冠はアイヌ語のシトゥカプからで、シトゥ・カプ(山葡萄の・樹皮)からです

内保はアイヌ語のナイボからで、ナイ・ポ(川・小さい)で小川を意味します

南端のベルタルベ崎はアイヌ語のベロタロベからで、ぺ・レタル・ぺ(水・白い・もの)から来ているようです。


紗那村
択捉島の中央部に位置する村で、江戸時代は、勤番所が設けられ択捉島の拠点となりました。

村は大正12年に紗那村・有萌(ありもえ)村・別飛(べっとび)村の合併で成立、人口は昭和20年次1450人いたそうです。

アリモイの手前に合ったエトゥロッフが、エトゥ・オロ・プ(岬・の処・もの)で岩を指したようです。択捉島の語源になったとも言われています。

村名の由来は、アイヌ語のシャナで、サン・ナイ(流れ下る・川)が転訛したものといわれています。

有萌はアイヌ語のアリモイからで、アル・モイ(一方の・入り江)の転訛したもののようです。

別飛はアイヌ語のベトフからで、ベツ・オ・プッ(川・その・口)で河口を意味したようです。


蘂取村
択捉島の北端にある村で、村の北端のラッキベツ岬は宗谷岬より北になり(簡単にいけないところですが・・)日本の最北端地です。

大正12年に乙今牛(おといまうし)村と合併して誕生、人口は昭和20年次380人と少なく、漁業が中心の村でした。

ラッキベツの滝は大きく美しい滝だったようで松浦武四郎の日記にも那智の滝より迫力もあり美しいと記載されています。

村名の由来はアイヌ語のシベトロで、シ・ベツ・オロ(大きい・川・処)からです。

乙今牛はアイヌ語のオトイマウシからで、オ・トゥイ・マ・ウシ(川口に・崩れる・澗・つけている)からでウシの後にプ(もの)などが略された地名のようです。

ラッキベツは、ラッキ・ベッ(ぶら下がった・川)からきています。ベッを使っているところからも滝の大きさが伺えます。