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恵須取支庁

恵須取町
西海岸北部の要地で、大正14年の王子製紙の進出で町が急速に発展し、物資の集散地となりました。付近には天内炭山や太平炭山がありました。支庁は恵須取におかれ、人口は39026人と昭和16年次では豊原市より多く樺太一の人口でした。

鉄道は、西海岸線を延長する形の泊恵線(泊居ー恵須取)や東海岸線へ横断する内恵線(内路ー恵須取)が計画されましたが未成線に終わりました。(内恵線は自動車線で存在)

町名の由来はアイヌ語のエストルで、エトゥ・ウトル(岬・の間)やエ・ウス・ウトル(そこ・入江・の間)などの説があります。


珍内町
西海岸の中部に位置し、早くから農漁業や炭鉱で発展し、山側は山岳地帯で北大の演習林がありました、海側に来知志湖がありました。役場は珍内にあり、人口は昭和16年次15430人いました。

町名の由来は、わかりませんただ、アイヌ語でチンナイは、チン・ナイ(獣皮などを干す張枠ある・川)になります。

湖のある辺りはアイヌ語でライチシカと呼ばれライ・チシ・カ(死んだ・丸い岩山・岸)からきていると思われます。


鵜城村
西海岸にある村で、役場は鵜城(うしろ)にあり、人口は昭和16年次3795人いました。村内の幌岸に炭鉱があり、また銘山伊皿山がありました

村名はアイヌ語のウショロで、ウス・オロ(入江の・処)に由来します。

また幌岸(ほろけし)は、アイヌ語のホロケシホロ・ケシ・イ(大きい・端・処)でホロとケシの間が略された地名のようです。またはホルケゥ・ウシ・イ(狼・多い・処)とも考えられます。

伊皿山はアイヌ時代はイサラヌプリと呼ばれ、イ・サラ・ヌプリ(それ・禿げている・山)に由来します。


塔路町
西海岸の恵須取の北にある町で、付近に優良な炭田があることから石炭で急激に発展した町です。町内に、塔路湖や雄武洞湖があり、近くに飛行場もありました。役場は塔路にあり、人口は30270人と非常に人口の多い町でした。

町名はアイヌ語のトウロからで、トー・オロ(湖・処)に由来します。

また雄武洞湖は、アイヌ語のオムトからで、オ・ム・トー(尻が・塞がる・沼)に由来します。


名好町
西海岸北部の町で、炭鉱で、発展した町です。役場は名好にあり、人口は昭和16年次16793人いました。

町名の由来はアイヌ語のナヨシで、ノヤ・ウシ・イ(ヨモギ・多い・処)に由来します。


西柵丹村
西海岸最北の村で、北端にあたる安別(あんべつ)は北緯50度線の国境近くにあり軍事上非常に重要な処でした。昭和20年8月のソ連侵攻の際には激しい戦闘が行われました。

村内にはいくつかの炭鉱があり賑わいました。役場は西柵丹にあり、人口は昭和16年次9296人いました。

村名の由来はアイヌ語のサッコタンで、サク・コタン(夏の・村)です。

また国境の安別はアイヌ語のアモベシからで、アン・ペシ(鷲取小屋・ある崖)ア・モ・ペシ(我ら・小さい・崖)が考えられますが分かりません。