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稚泊連絡船史

稚泊連絡船史

上の写真は大泊港沖で氷上荷役する亜庭丸

このコーナーでは稚内〜大泊(樺太)を結んだ稚泊航路の歴史の一部分を伝えるものです。現在は東日本海フェリーが稚内〜コルサコフ航路を運航しています。尚参考文献は「稚泊連絡船史」(国鉄青函船舶鉄道管理局1974年)・画像は主に著作権の発生しない昭和初期の文献を使用しております。

航路年表

大正12年5月1日 関釜連絡船 壱岐丸の転船により航路開設 稚内町開設以来の祝賀

大正12年6月8日 関釜連絡船 対馬丸転船で2隻体制に

大正12年7月18日 対馬丸 稚内町字シリコマナイ沖で座礁

大正12年12月26日 稚内港(わっかないみなと)駅開業

大正14年12月17日 対馬丸 稚内町字ノシャップ沖北西に座礁 船体放棄(死者0)

昭和2年12月8日 新造船 亜庭丸就航

昭和6年5月11日 壱岐丸 終航

昭和7年12月 新造船 宗谷丸就航 (亜庭丸と2隻体制に)

昭和13年10月1日 稚内桟橋駅開業 (稚内港駅構内の仮乗降場扱い)

昭和20年8月10日 青函航路に転船した亜庭丸が米軍により撃沈される。

昭和20年8月23日 大泊港発 22:00 宗谷丸 出航 (約4500名乗船)

昭和20年8月24日 朝4時ごろ 稚内港に最終船 宗谷丸到着 稚泊航路事実上休止

就航船

壱岐丸 長崎造船所で建造 乗船定員512名 1等18名 2等64名  3等430名

対馬丸 長崎造船所で建造 乗船定員439名 1等18名 2等64名  3等357名

亜庭丸 播磨造船所で建造 乗船定員754名 1等18名 2等102名 3等634名

宗谷丸 横浜船渠にて建造 乗船定員790名 1等18名 2等102名 3等670名

他に 伏木丸・田村丸・高麗丸の臨時就航あり

亜庭丸

初の稚泊航路専用船 亜庭丸 (大泊港付近)

宗谷丸

稚泊航路最終建造船 宗谷丸 ブリッジ部分の色や煙突数が違う

気候

大泊

桜は6月半ばの開花、6月でも雪が降ることがある。
夏のもっとも日の長い日は2時の夜明け、21時ごろ日暮れ、8月上旬は30度越えることも
雪は10月下旬から5月はじめまで、11月〜4月中旬まで風雪、12〜3月厳寒期

宗谷海峡

4〜10月海霧発生、特に西能登呂岬付近で多く発生

荒天時の避難港

樺太:留多加・七江・鉢子内・宗仁岬の各港

宗谷:鬼脇・仙法師・稚咲内・坂の下(ルエラン)

運航ダイヤ

大正12年5月1日

夏季 (4月〜10月) 稚内23:30〜大泊7:30 大泊21:00〜稚内5:00 

冬季 (11月〜3月) 稚内9:00〜大泊18:00 大泊10:00〜稚内19:00

大正15年8月15日

夏季 (4月〜11月) 稚内23:00〜大泊7:00 大泊22:30〜稚内6:30

冬季 (12月〜3月) 稚内9:00〜大泊18:00 大泊6:00〜稚内15:00

昭和3年9月10日

夏季 (4月〜11月) 稚内8:30〜大泊16:30 大泊11:00〜稚内19:00

冬季 (12月〜3月) 稚内8:30〜大泊17:30 大泊6:00〜稚内15:00

昭和9年12月1日

夏季 (6月1日〜11月15日) 稚内23:30〜大泊7:30 大泊20:50〜稚内4:50

冬季 (11月15日〜6月1日) 稚内8:30〜大泊16:30 大泊8:30〜稚内16:30

昭和17年11月15日

(7月16日〜5月14日) 稚内8:00〜大泊16:00 大泊12:30〜稚内20:30

(5月15日〜7月15日) 稚内11:30〜大泊19:30 大泊23:30〜稚内7:30

昭和18年6月より乗船時間のみ記載 出航時間不明に 

昭和18年9月24日より夜間航行禁止される。 

下り樺太方面の旅客ピーク3〜5月、11月多少上向き 底は1月 春は鯡漁関係者や開拓者、秋は林業関係者で賑わう。

上り内地方面の旅客ピーク9〜12月、鯡漁を終えた関係者が一喜一憂して混みあう。   

船内でのサービス

新聞は各客室に備え付け、日本茶は無料にて提供、飲食物は食堂や座席にて販売

昭和16年次 (食堂での提供品)

朝(6:00〜22:00) 定食・一品もの・酒・タバコ

夜(22:00〜24:00) 冷肉・パン・ごはん・コーヒー・紅茶・菓子・アイス・酒・タバコ

深夜・早朝(0:00〜6:00) 菓子・タバコ・その他

船内食堂での提供品

朝定食(洋)

オートミール・ハムエッグス(オムレツ又はフライドフィッシュ)・パン・果物・コーヒー又は紅茶

朝定食(和)

味噌汁・向付・脇付・小付・香物・めし

昼・夜定食(洋)

スープ・魚類・肉類・パン又はめし・果物・コーヒー又は紅茶

昼・夜定食(和)

吸物・向付・脇付・小付・香物・めし

一品売り

弁当(料理2品以上・香物・飯)・親子丼(香物付)・ランチ(料理2品・飯)・カレーライス

サンドイッチ・フライ(魚か貝、野菜付)・冷肉(野菜付)・ビーフステーキ

パン四分の一斤(バター付又は代用パン)・菓子(キャラメルなど)・果物・缶詰

ビール(札幌・麒麟)・黒ビール・サクラビール・清酒・ウィスキー・炭酸水・三ツ矢サイダー

キリンレモン・コーヒー・紅茶

タバコ:敷島・朝日・エアーシップ・チェリー・ゴールデンバット・葉巻:櫻・響・暁・光・金鶏・鵬翼

無償食

天候不良・事故等で4時間以上の遅れが出た場合、無償で提供した。そのため船には保存の長い食品を中心に3週間分積み込んでいたようです

例:昭和18年12月27日亜庭丸

朝 塩鱒・玉菜・浸し・梅漬け・めし 

昼 干小女子・甘煮・玉菜・煮物・大根・味噌漬・めし

理由 大泊30分遅発、14:10分悪天候、17:20分鉢子内沖に仮泊

翌朝8:00抜錨、稚内14:00着のため

大泊港

結氷する大泊港と連絡船 亜庭丸

氷上荷役

当時の内地から見れば、まさに異国の地、樺太その極北の象徴のひとつに氷上荷役がありました。流氷に閉ざされる亜庭湾、冬季は港も厚い氷に覆われるため、艀のいく同じぐらいの1200メートルほどの沖合いで船は停泊しそこで旅客は歩き、荷物は馬橇などで搬送が行われた。

まれに氷が割れることもあるがすぐに凍結した。レールやロープなどを利用しアイスアンカーを設置し赤旗や標識、夜は照明塔を立て、安全帯を設置し通路を確保した。時には風の影響で旅客や橇が流されることもあった。亜庭丸の就航でこの氷上荷役も行われなくなった。

でも一番上の写真を見る限り、場合によっては行われていたようです。

大泊港

大泊港専用ランチ

海難・事故

大正13年7月17日 対馬丸 シュルコマナイ沖で座礁、離礁まで10日間

大正13年8月27日 壱岐丸熱湯事件 船から熱湯が噴出し艀の旅客が浴びた事件
死者1名火傷16名
軽度の火傷8名

大正14年12月17日 対馬丸 ノシャップ沖座礁沈没 死者0

昭和9年6月3日 亜庭丸 漁船と衝突、3名死亡

昭和13年11月11日 宗谷丸 稚内機関区沖で座礁 26日離礁

宗谷海峡難航史

稚泊連絡船史で忘れられない一つに、難航の歴史がります。温暖化が進んだ現在より寒冷化した宗谷海峡、その海峡を航行する連絡船も当時は砕氷設備が整っていないため難航の連続でした。もちろん船員だけでなく旅客にとっても冬の宗谷海峡を越えることは大変な苦行に近いものがあったようです。

大正13年12月9日 対馬丸 大泊22:00 出航〜14日 稚内到着 船客に無償食5回

大正14年2月17日 壱岐丸 大泊10:00 出航〜19日14:00 稚内到着 知志谷沖流氷のため一時航行不能に

昭和3年12月6日 亜庭丸 大泊6:00 出航〜8日7:00 稚内到着 大しけのため一時的に七江沖に避難

昭和4年2月17日 壱岐丸 稚内9:25 出航〜21日8:10 大泊到着 流氷・結氷で航行不能になるも亜庭丸により救助 (やはり、砕氷設備の差でしょう)

昭和4年2月24日 壱岐丸 大泊6:00 出航〜25日0時ごろ 鬼脇南方に停泊〜26日12:00稚内到着 (実は上の帰りの便、往復では最長記録、乗り合わせの船員さんお疲れ様)

昭和5年2月12日 亜庭丸 大泊7:00 出航〜14日5:40 稚内到着 稚内暴風のため旅客を下船することが出来なかった。

昭和6年1月26日 壱岐丸 大泊6:30 出航〜29日朝、稚内到着 流氷のため立ち往生を亜庭丸に救出してもらう。

昭和6年2月2日 壱岐丸 大泊7:00 出航〜5日8:00 稚内到着 流氷のため立ち往生2月4日 亜庭丸来援、乗客移乗 14:15分離氷

昭和6年2月14日 壱岐丸 大泊7:00 出航〜18日11時 稚内到着 古江沖に氷盤57名旅客を亜庭丸に移乗

昭和6年2月16日 亜庭丸 大泊7:45 出航〜17日15:20 稚内到着 途中で壱岐丸を救援する。

昭和6年2月26日 壱岐丸 大泊23:00 出航〜3月2日16:25 稚内到着 鉢子沖で氷盤のため

昭和8年2月2日 宗谷丸 大泊8:30 出航〜3日11:00 稚内到着 西能登呂沖流氷のため

昭和12年2月15日 宗谷丸 稚内10時15 出航〜300メートル沖で 流氷のため48時間立ち往生 航行不能のため修理

昭和12年2月15日 亜庭丸 大泊9:00 出航〜暴風のため17:00 大泊着 20日0:05 ようやく大泊 出航〜稚内流氷のため入港できず 21日6:45 小樽到着

昭和14年2月5日〜23日間、流氷のため稚内港閉塞

昭和19年3月7日 宗谷丸 大泊5:40 出航〜稚内流氷のため入港できず〜9日6:50 留萌着

稚内港北防波堤

現在、稚泊航路を偲ばせるものに北海道遺産に指定された稚内港北防波堤ドームがあります。北埠頭が樺太航路の玄関口でしたが波が強いために鉄道や旅客から波を防ぐために非常に頑丈な防波堤が築かれました。昭和6年より建設に着手し11年に完成し昭和13年の桟橋駅開業でその重要性が増しました。

戦後は樺太航路がなくなり、北防波堤ドーム自体は貯炭場に、桟橋駅舎は使われないまま昭和40年代まで放置状態で残っていたようですが、残念ながら取り壊されました。

昭和50年代に入り北防波堤も老朽化し、取り壊しも検討されましたが、市民からの強い要望で全面的に改修され昭和55年に当時の姿で甦りました。

稚内港北防波堤

稚内港北防波堤、駅から歩いて5分ほどです。

稚内

昭和初期の稚内

写真左側が、まだ未完成の北埠頭、手前の神社が北門神社、写真中央やや右・海側の白い屋根が稚内港(わっかないみなと)駅と思われます。その後の岬が声問岬です。

(もし違っていましたらご指摘頂ければ幸いです。)

最後に稚泊航路利用者が目指した極北の大地、樺太をうまく表現した樺太小唄をご紹介

樺太小唄 (宗谷を越えて)

1:かもめ群れ飛ぶ宗谷を越えて 渡りゃ樺太夢の島 北は国境五十度までも 続く沃野は主を待つ

2:凍るツンドラ吹雪に暮れて 今日も廣野に日が沈む 走れトナカイ雪道わけて 杜のオタスの灯が見える。

3:森は夕焼け湖面(みのも)に映えて はるか鈴谷は茜雲 若い同族(ウタリ)の心は燃えて ピリカメノコの胸は散る。

4:男度胸に原始の森に 響く山彦斧の音 組んだ筏に思いをのせりゃ 恋の幌内 花が咲く

5:森の白樺狭霧(さぎり)に濡れて 遥か昿野に日が沈む 走れ馴鹿 鈴の音高く杜のオタスに灯が見える。

※国境五十度線:南樺太領有後のロシアとの国境は五十度線に引かれた。

※オタスの杜:南樺太領有後、敷香市街約2キロに幌内川河畔で暮らす先住民のニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エベンキ(キーリン)、ウルチャ(サンダー)を保護の名のもとにオタスに集め土人部落を作った。

※鈴谷:樺太南部、豊原近くの鈴谷山地を指したものと思われる。

※ピリカメノコ:アイヌ語で美しい女

※幌内:樺太北部、敷香を流れる太河の幌内川を指したものと思われる。

稚泊航路記念碑

稚泊航路記念碑、宗谷丸の号鐘(模造)が添えられている。場所は稚内北防波堤ドーム

亜庭丸の模型

こちらは今話題の鉄道博物館に展示の亜庭丸の模型

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