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三菱鉱業 美唄鉄道 (昭和43年)

美唄鉄道時刻表

昭和43年6月弘済出版社「道内時刻表」より

昭和43年は高度成長期、北海道もまだ過疎化がそれほどでもなく、現在は地図から消えた小さな集落が道内各地に点在した活気がある時代ともいえます。今回は、空知管内美唄市にある東美唄地区を走っていた美唄鉄道並びに三菱バスの時刻表を紹介します。

正式には三菱鉱業美唄鉄道といい、国鉄美唄駅より10.6キロ先の常盤台を結ぶ運炭鉄道です。地元では美鉄の愛称で親しまれていました。美唄鉄道自体は美唄炭鉱の閉山で昭和47年に廃止されましたが、バス事業は美鉄バスとして21世紀はじめまで東美唄の国設スキー場まで路線バスを運行していましたが残念ながら廃業し、現在は美唄市民バスとして運行されています。

北海道の私鉄では珍しく、東明駅が現在も残され同じ場所に2号蒸気機関車も大事に保管されています。またこの東明駅より美唄鉄道跡を利用したサイクリングロードが整備されています。

昭和43年の時刻表を見ると鉄道自体は、わずか5.5往復、202列車は利用客も少なかったと思いますが1往復ある貴重な蒸気機関車牽引の客車(貨車含む)列車です。すでに鉄道部門は衰退し、運炭がメインになっていたようです。

列車とは反対に同じ沿線を走るバス路線は絶好調で、朝の5:35分から日中は頻繁に走っています。この頃まではきっと美鉄沿線も殷賑を極めていたことでしょう。

昭和30年の人口ではこの美鉄沿線

東美唄 21103人 

我 路 2537人

盤の沢 6789人

東 明 6010人  

昭和50年の人口ではこの美鉄沿線

東美唄 85人

我 路 381人

盤の沢 67人

東 明 3286人

美鉄沿線もやはり炭鉱ありきの街、閉山後の人口流失は大夕張と肩を並べます。特に東美唄は炭鉱の中枢部で山間部だったこともあり見事に流失しています。わずか10年で兵どもが 夢の跡になってしまっています。。

ちなみに。しつこくて申し訳ないですが昭和61年の住民基本台帳によると

東美唄 9人 かっては市内最大の人口密集地、美唄炭鉱閉山後、関連施設並びに住宅はすべて撤去され我路町との境にファミリー公園や国設スキー場があり冬はスキー客で賑わう。また現在、炭鉱のあった場所は炭鉱メモリアル森林公園として整備されています。

我 路 207人 かって農家が3軒だけの我路は美唄炭鉱が採炭始めると発展し商店・料理店が何十軒も建ち並んで炭鉱市街地として栄えたが閉山後衰退。1条から4条どおりまで軒を連ねた繁華街の面影はない、バス通りに食料雑貨店や民宿がある。他に神社、お寺2つ、簡易郵便局、消防署出張所・市役所の出張所がある。

盤の沢 110人 かって三井・三菱の坑口があり炭鉱関連施設や炭住が並んでいたが閉山後は人口が流失、現在は道々沿いの本町地区に商店がある他、炭鉱跡地に浄水場や工場などがある。

東 明 2898人 三井・三菱の大炭鉱住宅地と農業地域が混在していたが現在は製造や流通企業が進出し今でも賑わいをみせている。

21世紀になり、私もこの美鉄沿線にバスで行きました。あの時見た雪の我路集落は本当に印象深いものがありました。昭和の取り残されたような集落でした。また我路に行きたい。我路こそ我のたどるべき旅の道かもしれません(^^;;

北海道には沢山の見所がありますが、決して観光ガイドには載らない我路の集落も北海道らしさを充分に持っています。美唄駅からバス代も安く片道200円です♪

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