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沿岸バス羽幌線車窓の旅 2019G(遠別〜更岸)
2019年9月沿岸バスの萌えッ子フリーパス(2日用)を利用し沿線の旅を楽しみました。今回は、国鉄羽幌線(留萌〜幌延)の代替区間をメインに留萌より幌延までの路線バス車窓の旅の8回目です。 写真は啓明付近を走る沿岸バス留萌市民病院行き。遠別を出ると日本海からやや内陸部を走ります、啓明には羽幌線時代仮乗降場がありました遠別より約4K、留萌より約100Kほどの場所にあります。 |
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された啓明地区、写真上方が天塩方面、下方が遠別、羽幌方面になります。国道より若干内陸側を走っていた羽幌線、各文字左が仮乗降場とバス停附近になります。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。 地名的には河川名で分かるようにアイヌ語のウツがの方が啓明より合っていますが音の響きが入植した方には受け入れられなかったのか学校名のような地名になっています。ウツ(肋骨)字体は宇津などの当て字で道内にみられるアイヌ語系地名です、かっては啓明小学校もあったようですが昭和47年に廃校になっている状況を考えると過疎化が早かったことが分かります。 ちなみに沿岸バスのバス停には満佐呂橋というバス停が啓明第一の手前にありますがアイヌ語のマサロマップ=マサル・オマ・プ(浜の草原・ある・もの)が由来のものと思われます、現在の角道川が由来になった川と思われます。
啓明より3Kほど走ると国鉄羽幌線の丸松駅のあった丸松に着きます。バス停もほぼ当時の駅前にあります。写真のバス停前の更地に丸松駅がありました。啓明より先で羽幌線は国道より日本海側を走っていましたので駅跡は海側にあります。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された遠別町丸松地区、写真上方が天塩方面、下方が遠別、羽幌方面になります。国道より若干海側を走っていた羽幌線、丸松駅文字右が羽幌線丸松駅、丸松バス停文字左が沿岸バス丸松バス停附近になります。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。 画像右(内陸)側にある丸松小学校は昭和57年に閉校していますが、現在は遠別町の郷土資料館として活用されています、地名の丸松は一見和名のようにも感じますが近くのパロマウツナイ川が由来のアイヌ語地名です、パル・オマ・ウツナイ(口・ある・ウツナイ川)、当て字が素敵な丸松の地名です。
遠別町から天塩町に入り牧歌的な風景が続きます、どうしても海側は暴風雪対策の柵がり、車窓右側の方が車窓を楽しめます。天塩町の乙和園バス停附近、留萌より約100K程の場所になります。
南更岸附近、風力発電と天気が良ければ利尻が楽しめます。この辺りからの利尻って稚内の利尻と形が違ってこっちも魅力的です。
沿岸バス南更岸バス停手前の国道のカーブで利尻が正面に来るポイントがあります、ここで沿岸バスとすれ違うと最高なんですが(笑)
この更岸附近でのカーブでまた利尻が道路正面に現れます、沿岸バスと利尻を正面に撮れる貴重なポイントのひとつです。
牧歌的な風景が続く更岸ですがこちらの内陸側には昭和の初期までサラキシトーという大きな沼がありました。今はすっかり酪王地帯になり面影は感じられません、昭和6年にサラキシトーの干拓が計画され9年後には開墾可能になったようです。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された天塩町更岸地区、遠別より約13K先、写真上方が天塩、幌延方面、下方が留萌方面になります。羽幌線更岸駅は文字右の位置になります。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。 江戸時代の伊能大図など見るとこの辺りまで天塩川の河口が広がっており少なくとも湿地帯であったことは間違いないと思われます。また内陸側はサラキシトー(ポロトウ)が広がっていたと思われ時代とともに変化の激しい地区だったことが分かります、地名の更岸ですがアイヌ語のサル・ケシ(葦原・末端)を意味しここら辺りまでが湿原の端にあたる地域であったことが分かります。
沿岸バスの旅には萌えっ子フリーパス(1日券と2日券があります)が便利です、詳しくは沿岸バスホームページでご確認ください簡単に言えば、雄冬〜稚咲内間の路線バスに乗れます(一部除外あり)
続きはそのうち作る予定です。
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