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沿岸バス羽幌線車窓の旅 2019C(興津内下〜築別)
2019年9月沿岸バスの萌えッ子フリーパス(2日用)を利用し沿線の旅を楽しみました。今回は、国鉄羽幌線(留萌〜幌延)の代替区間をメインに留萌より幌延までの路線バス車窓の旅の4回目です。 写真は国鉄羽幌線沿線で一番賑やかな羽幌町内幸町バス停付近、炭鉱の町として栄え昭和44年には32000人を超え市制を目指しましたが炭鉱の閉山による人口減で過去には人口水増し事件までありました、私が初めて羽幌に行った頃は1万を超えた人口も現在は6700人ほど(2020年)です、写真は90年代初頭に撮った羽幌線代替バスの古丹別行きです、当時は羽幌から古丹別行きも運行されていました。 |
こちらは2019年に撮った、羽幌町内幸町バス停付近(上の写真とほぼ同じ場所)、あんまりというか殆ど変わってない雰囲気ですがこの風景を見ると羽幌に来たなと思います、ちなみにここまで留萌駅から約50Kほどです。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された羽幌地区、羽幌駅文字左が、国鉄羽幌駅になります。駅前には大通りがあることがわかります。写真上方が初山別、幌延方面、下方が苫前、留萌方面となります。 羽幌港からは天売焼尻航路が現在も運航中です。写真の○は現在はぼろ温泉がある場所です、個人的には好きな温泉です、羽幌小、羽幌中も写真文字左側の大きな建物です。
羽幌駅前大通り、突き当りが国鉄旧羽幌駅跡になります。ちなみに信号左手に見える大きな建物は羽幌町にあった宮坂デパート(現在廃業)、羽幌には羽幌タイムスという地方新聞もあり当時は大きな街だったことを伺いしることができます、デパートなんて今では県単位で消えるレベルですからね。
こちらは2000年代に撮った羽幌駅跡、中央の記念壁画?の場所ですが、どうせなら当時の駅を模した壁画だったらと思う方も多いかもしれません、芸術過ぎて私には理解不能(笑)、ちなみにその壁画の右側が沿岸バスの羽幌ターミナルになります。ちなみに沿岸バスには同じ町内に本社ターミナルもあります。
羽幌川を渡り次に駅のあった築別方面を目指します、羽幌はアイヌ語地名ですがいろんな説があり地名の由来ははっきりしていません。
沿岸バス元光洋小学校前バス停、国道わきに元校舎が残っています、以前は似軽巣(二カリウシナイ)小学校という良き名の学校でした、二カル・ウシ・ナイ(梯子・ある・沢)意味するアイヌ語地名です、松浦山川図にも二カルウシナイと記されています。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された羽幌町似軽巣(汐見)地区、国鉄羽幌線羽幌駅と築別駅の間には昭和47年に廃止された下ノ滝仮乗降場が文字の左側(推定)にあったようです。羽幌線は国道のすぐ陸側を道路に沿うように走っています。 写真上方が初山別方面、下方が留萌方面となります。ちなみ仮乗降場附近の国道には沿岸バス汐見第2バス停があります。写真上方の文字左にある似軽巣小は平成13年閉校のようです。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
こちらは昭和43年版道内時刻表より、国鉄羽幌線下り時刻表(部分)、下ノ滝仮乗降場が載っていて7本の列車が停車しています。また羽幌〜築別間の列車があったことや留萌から築別行き列車があったことが当時の賑わいを表しています。
羽幌より約6Kほど。羽幌炭鉱鉄道(築別〜築別炭鉱)が分岐した築別地区に入ります。そういえば未成線に終わった国鉄名羽線(羽幌〜朱鞠内間)がありますが羽幌〜曙間は築別によらず羽幌〜築別間の途中で分岐して羽幌炭鉱鉄道の駅があった曙を目指す予定だったようです。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された築別地区、写真上方が羽幌方面、下方が留萌方面になります。築別駅は文字左の位置になります。写真○は沿岸バス築別バス停、また国道から分岐して築別集落に入る分岐点の場所に沿岸バスマス内バス停があります。 ちなみに築別駅より分岐していた羽幌炭鉱鉄道は、築別駅より羽幌方面に向かい、マス内バス停文字中央付近から羽幌線と別れ内陸の築別炭鉱へ向っていました。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
写真の道路沿い右にある一番手前の家附近にマス内バス停があります、マシ・ナイ(かもめ・沢)からきたアイヌ語地名と思われます。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された築別炭鉱地区(西側)、写真左方が築別方面になります。最盛期の昭和40年代は6000人を超える人口を誇った地区も現在は無人地帯になっています。平成の初めごろまでは太陽小学校が「緑の村」として利用されていました。 現在も築別炭鉱のホッパーや1年ほどしか利用されなかったアパート群、炭鉱病院(文字左)、消防署などの遺構があります。ちなみに築別炭鉱鉄道は築別まで8往復運行されていました。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された築別炭鉱地区(東側)、写真左方が築別方面、こちらが築別炭鉱の中心地区になります。写真@周辺は炭坑商店街、Aには築別炭鉱駅、Bは炭坑跡、Cは築炭神社がありました。 Dにはスキーのジャンプ台(築炭シャンツェ)があったようです。築別炭鉱のスキー部は当時羽幌飛行隊として名を馳せたようです。現在は無人地帯で羆の出没地域でもあり、もし訪ねる際は単独は避ける装備など最大限の注意が必要です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
上記写真は昭和50年代初頭に撮影された羽幌本坑地区、写真左方が羽幌方面、現在も本坑の位置に遺構が残されています。またこの羽幌坑から築別炭鉱の曙駅までは名羽線(未成線)の線路が許可を受け使用されていました。ちなみにこの羽幌本坑地区には三毛別(さんけべつ)駅ができる予定でした。下方が留萌方面になります。 現在は無人地帯の羽幌坑地区ですが昭和40年時には3600を超える人口を誇りました。ちなみに昭和40年代の時刻表を見ると羽幌から本坑地区まで沿岸バスが7往復運行され所要時間は50分になっています。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
沿岸バスの旅には萌えっ子フリーパス(1日券と2日券があります)が便利です、詳しくは沿岸バスホームページでご確認ください簡単に言えば、雄冬〜稚咲内間の路線バスに乗れます(一部除外あり) 続きは上の画像をくりっくしてください。 沿岸バスや留萌線、JRバス深名線沿線の旅はこちらから カムイミンタラすべての項目はこちらからどうぞ♪ |