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沿岸バス羽幌線車窓の旅 2019A(鬼鹿三区〜力昼)

沿岸バス

2019年の9月沿岸バスの萌えッ子フリーパス(2日用)を利用し主に国鉄羽幌線沿線の旅を楽しみました。今回は、国鉄羽幌線(留萌〜幌延)の代替区間をメインに留萌より幌延をさらに北上し終点の豊富までの路線バス車窓の旅の2回目です。

写真は、力昼附近を走る沿岸バスはぼろ号です。

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鬼鹿を出発し日本海沿いをひたすら走ります。道路右の山裾は羽幌線跡、ちょうど御種子(オタネコ)橋を渡り終えた地点です。

松浦武四郎の地図ではヲタネコロ、明治の地図ではポンオタネヨロの記載が見られます、オタ・二コ(砂浜・すきま)といった意味になりますが、最初はオタニコルナイ、砂浜のすきまを流れる川といった意味だったのかもしれません。

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沿岸バスの名にふさわしく日本海に沿って北上します。天気が良ければ尖がった利尻さまがずっと見えることもあります。

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千松川を渡り千松第1に到着、川の手前の山側には国鉄羽幌線千松仮乗降場がありました。

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まもなく茶俊内(チャシュンナイ)川を渡りまもなく豊浜第2着きます、日本海沿いに細々と集落が続きます、松浦武四郎の山川図にはこの辺りにチャラセウシナイといった記載があります。チャラッセ・ウ・ナイ(滑り降りている・いつも〜する・沢)いつも流れが速い沢が転訛して現在のチャシュンナイになったように思われます。

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まもなく小平町と苫前町の境界の堺の沢バス停附近、ここにあるサカエノ沢川を越え苫前町字力昼に入った正面(左側)の高い崖下附近に国鉄力昼駅があったようです、現在は苫前の看板のある空き地になっています。

力昼駅といえば、私の場合は廃止前にあったドキュメント番組(中村敦夫)で廃止直前の冬の力昼駅の寒々しい風景が今も強烈に印象に残っています。

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上記写真は昭和50年代初頭に撮影された力昼駅周辺、力昼駅文字右の国道を超えた場所に力昼駅が小さく写っています。

力昼駅上方が羽幌方面、下方が留萌方面となります。堺の沢は小平町と苫前町の境にあり力昼は苫前町になります。羽幌線は今も遺構の残る第1力昼トンネルに入ると海を離れ内陸側を走りました。恐らく大きな集落の古丹別に向かうためと思われます。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。

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力昼駅跡を出てしばらく走ると羽幌線の第一力昼トンネル跡が見えます。(写真:対向車の斜め上)、ここから国鉄羽幌線は海を離れしばらく内陸を走り力昼集落にあった番屋の沢仮乗降場や古丹別駅を目指しました。

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ここからは羽幌線跡と別れますが景色はこちらが海沿いで素敵です(力昼漁港付近)♪

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天気が良ければ、ここからも小さく尖った利尻を見ることができます。

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ちょうど家の見えるあたりが力昼集落のある入り口になります。力昼川沿いの内陸に集落が広がっています、ここまで留萌駅より約35Kほどになります。ちなみに力昼集落にあった国鉄羽幌線の駅は番屋の沢仮乗降場となります。

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上記写真は昭和50年代初頭に撮影された力昼地区、○の部分が羽幌線番屋の沢仮乗降場付近となります。その右方向にある広い広場は力昼小学校の校庭です。

写真上方向が羽幌方面、下方向は留萌方面となります、留萌方面には弓なり状になった羽幌線が良く分かります。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。

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昔の画像から、たぶん力昼附近を走る沿岸バス、冬は沿岸バス沿線にとってとても厳しい環境です。大雪や暴風雪に見舞われることが多い地区です。

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沿岸バスの旅には萌えっ子フリーパス(1日券と2日券があります)が便利です、詳しくは沿岸バスホームページでご確認ください簡単に言えば、雄冬〜稚咲内間の路線バスに乗れます(一部除外あり)

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