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大夕張 シューパロ湖さんぽ 2013

大夕張

大夕張は三菱の炭鉱街として最盛期には1万8000人を超え現在の夕張市を超える人口を有する地区でしたが、昭和40年代後半に炭鉱の閉山、その後の夕張シューパロダムの建設に伴う住民移転のために南大夕張(南部)地区以北は無人地区になっています。その無人になった大夕張地区も平成26年度のダム完成でまもなく湖の底に沈む予定です。

今更でもありませんが、なぜ現役時代の大夕張を見なかったのだろうと後悔しても詮無きことで、ダムに沈む前にせめて三弦橋を見ておきたい、最後のチャンスと思い、清水沢から三弦橋を目指して歩きました。(朝に南部行きのバスが無くなったため)。数年前に旧道を三弦橋の手前のトンネルまで来ながら、トンネルに臆して引き返した付けは非常に大きなものになりました(汗)

写真の右端中央部分に見えるのが下夕張森林鉄道に使われた三弦橋です。

大夕張

さて、南部(南大夕張)から三弦橋を目指します♪、私を待っていたのはエゾシカ君たちでした。上には南部大宮町に残っている廃屋らしきものが。。。新国道に切り替わったことなど知らない私は、シューパロトンネル(2310メートル)の長さに圧倒され、なんとなく旧道を歩きました。。。しかし通行不能(涙)。。。

20分ほど無駄な行動をして戻り、やはりあの長大なトンネルを歩くしかないと決意しました。軟弱な私は長いトンネルを歩く趣味などないのですがここで戻ってはそれこそ後悔するのは目に見えているので決断し、片道25分ほどかけてトンネルを歩行しました。。。きっとトンネルの向こうには夢のような光景が待っていることを信じて。。。(笑)

大夕張

トンネルを歩いたことは何度もありますがこれほど長いトンネルを歩くのは初めて、でも夢のような光景が広がるはずと勝手に期待してようやくトンネルを出ました。トンネルを出れば明石橋、そしてすぐに千年(ちとせ)橋と旧大夕張地区の町名が橋の名になっていました。

大夕張

トンネルを越えれば夢のような光景と思いたかったのですが現実は。。。凄く遠くに小さく三弦橋が。。。。あまりにも遠い距離に呆然。。。除雪にきた工事関係者に聞くと下の旧道に行くにはもっと大夕張方面に歩いて戻るしかないと聞かされここで終了♪、流石にこれ以上のエネルギーは残ってませんでした。せめてチャリだったら。。。三弦橋の先にも森林鉄道時代の橋梁がいくつか見えますが小さいです。

ここと三弦橋の間にはかって大夕張鉄道のシューパロ湖駅や公園、湖畔亭などがあったようです。

大夕張

疲れたこともあり、ここで(千年橋)パンを食べながら夕張岳方向をじっと見ていましたが名峰、夕張岳は残念ながら最後まで雲隠れ。

大夕張

大夕張方向を見れば、変な高架橋みたいな建造物がありますがこちらが明石町付近、そしてその手前にうっすら見える橋が奥鹿島地区を結んだ白銀橋です。トンネルのお陰?でとりあえずダムに沈む大夕張地区の先端を見ることができとりあえず満足♪

長年気がかりになっていた大夕張地区を私なりに少しですが触れることが出来よかったです。本当は三弦橋だけ見れば帰るつもりでしたからね(笑)

大夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された大夕張地区:鹿島明石町、かっては第1農場、第2農場(大夕張ダムの底)と呼ばれた農業地区が大夕張炭鉱の発展とともに炭住街に発展した地域、以前は川に沿った半島までぎっしりと炭住が並んでいたそうですがこの時点では駅前を除き炭住が無くなっていることが分かります。昭和45年には800名を超える住民が居住していましたが昭和60年初頭には100名を切っています。

写真の大きな○は夕張東高校(旧夕張鹿島高校)、小さな○は昭和48年に廃止された大夕張鉄道明石町駅です。ちなみに町名は明るい石炭の町という意味から明石町となったようで兵庫の明石とは関係ないようです。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

大夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された大夕張地区:鹿島白金(奥鹿島)地区、白銀橋で明石町と結ばれていた白金地区は夕張岳登山の玄関口でもあります、ペンケモユーパロ川に沿って農家が点在しているのが写真でも確認できます。地名はペンケモユーパロ川から砂白金が採れた事よります。戦時中も軍主導で砂白金が採られていたようです。

元は昭和21年に桜ヶ丘開拓団の入植により桜ヶ丘と呼ばれていましたが大夕張ダムで湖底に沈んだため白金になった経緯がありますが、この白金も夕張シューパロダムで当然湖底に沈む運命にあることは言うまでもありません。この地にあった(鹿島東小学校)奥鹿島分校も昭和55年には廃校されています。生徒数も最盛期でも14名だったそうです。昭和45年の人口は77名、昭和60年初頭も54名と農業地区だけにそれほど過疎化していないことが分かります。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

大夕張

ちょっと脱線気味ですが平成26年度中にダムに沈む大夕張(鹿島)地区を紹介します。上記写真は昭和50年代初頭に撮影された大夕張地区でシューパロ川の流れに沿って大夕張の集落が点在しています、三菱大夕張炭鉱閉山から数年経っていますがまだ大きな集落を形成しています。まもなく夕張シューパロダムの湖底に沈む予定です。平成10年中に住民がすべて移住し無人地区になりました。

ちなみに明石町より写真右手に道を進めば南部(南大夕張)、清水沢方面になります。元々大夕張の地名の名は現在の南部(南部大夕張)地区でしたが炭鉱が昭和初期に北部の大夕張地区に移転し、最初はこちらを北部と呼んでいましたが、こちらが大夕張になり、元々大夕張だった場所が、南部大夕張、南大夕張そして現在南部地区と呼ばれています。岩手の南部とは関係ありません。

ちなみに鹿島の名前は開発の地である鹿島沢から名付けられたようです。元は夕張町字大夕張です。大夕張地区を詳しく知りたい方は「ふるさと大夕張」という大変素晴らしいサイトがありますのでそちらをお勧めします。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

大夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された大夕張、常磐町と千年町、常磐町には写真のように鹿島中学校がありましたが、過疎化も早く昭和45年次に800名を超える住民がいましたが昭和50年初頭には世帯数2まで激減しています、昭和53年には鹿島小学校に併設された形になり常磐町の校舎は使われなくなりました。

昭和53年閉校の鹿島東小学校のあった千年町は住宅街や商店街が残っています。派出所や郵便局、図書館の分館などもあったようです。写真の○は大夕張鉄道の千年町駅付近になります。昭和45年には1400名を超える住民が居住していました。昭和60年初頭には300名ほどになっています。宝町も比較的小さな炭住街で昭和45年には300名を超える住民が居住していました。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

大夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された大夕張地区、写真左の北栄町はかって官行と呼ばれ大夕張炭鉱がありました(昭和48年閉山)。またメタノール工場もありましたがこちらは昭和44年に10年ほどで閉鎖されています。昭和45年時で200名ほどいた住民は昭和60年には無人になりました。北栄町にある小さな○は当初通洞と呼ばれた大夕張炭山駅付近になります。

富士見町は炭住街で鹿島小学校付近は通称緑ヶ丘と呼ばれていたようです。写真の鹿島小学校左下周辺に小さなスキー場もありました。昭和45年には800名を超える住民が居住していました。ちなみに鹿島小学校の上付近の小さな○が大夕張駅付近になります。

栄町は、大夕張鉄道、大夕張駅や道道夕張芦別線沿いに商店街が形成され大夕張の中心として賑わった地区です。栄町の左側にある大きな○は炭鉱病院です。またその隣の小さな○は三菱鉱業バスの営業所になります。かっては夕張市内や札幌へ行く路線のほかに大夕張炭鉱から明石町までの大夕張地区だけを走る路線もありました。昭和45年の人口は1700名を超えています。昭和60年初頭には360名ほどになっています。

代々木町は代々木アパートのある炭住街でした。春日町は炭鉱の発展で代々木町、弥生町の発展とともに形成され昭和45年次には1000名を超える住民がいましたが、閉山でもっとも過疎化が早く写真でも殆ど建物すら見当たらない状況になっています。

弥生町は隣の緑町の発展とともに形成され昭和45年次には900名を超える住民がいましたが昭和59年には無人地区になっています。緑町は大夕張の駅近くの炭住街として発展し、昭和45年には1000名を超える住民が居住していました。昭和60年初頭には100名を切り過疎化が進行しています。

錦町はかって泉町と呼ばれていた炭住街で昭和45年には500名を超える住民が居住していました。昭和60年次には100名を切っています。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

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