カムイミンタラ<<北海道アイヌ語地名サイト カムイミンタラに戻る
夕張本町さんぽ 2013A

夕張

炭都夕張、最盛期の人口は昭和35年の11万6904人、学校では「いいロック親」と覚えなさいと不思議な教育がなされたようです(うそ)。それだけの人口がいただけに市の中心部である夕張本町はヤマの景気に沸きとても賑わいある時代もありました。今もこの本町通りはホテルや店もあり夕張の中ではそれなりに賑わっています。レトロな映画の看板(ゆうばりキネマ街道)がいい雰囲気を保ってくれているのかもしれません。

ちなみに右奥にある本町2丁目のホテルシュ-パロが以前はのおかむらデパートがあったところで周辺は本町商店街が形成され夕張でも一番賑わった場所でした。祭りのときなどは本町2丁目から栄橋までが歩行者天国になったようです。

夕張

夕張本町3丁目と4丁目を結ぶ栄橋から本町2〜3丁目方面を望む。志幌加別川を渡る赤い橋は思い出橋です。思い出橋と本町通りの合流地点付近が十字街と呼ばれていました。

ちなみにアイヌ語河川名のシホロカベツ川ですがアイヌ語のシ・ホカ・ペッ(大きい又は親の・後戻りする・川)からきた地名です。

ちなみに写真ではわかりませんがちょうどこの写真下付近でポンホロカベツ川、アイヌ語のポン・ホカ・ペッ(小さい又は子の・後戻りする・川)と合流しています。

夕張

栄橋から夕張本町4丁目、歩道は除雪されてないので車道を歩くしかありませんが車の通行は少ないので安心して歩けます。

夕張

夕張本町4丁目にやってきた夕鉄バス(社光行き)。都バスそのままの色でした。ようやく貴重な通行人がいました。

夕張

栄橋から見た夕張本町3丁目方面

夕張

夕張本町4丁目にある元夕張市民会館(信号奥)、その右側は夕張市役所です。この裏手に夕張鉄道夕張本町駅やその廃止後ですが2代目の国鉄夕張駅がありました。今は何も残っていません。

夕張

夕張本町4丁目の交差点

夕張

4丁目を後にします、夕張、結構坂ばかり。

夕張

夕張市民の山、冷水山(れいすいやま)、夕張観光の核をなすレースイリゾートや明治期の地図にはアイヌ語のワカナぺヌプリと記されています。ニセコアンヌプリに対抗するなら冷水よりワカナぺヌプリのほうがお洒落だったのに。。。

ワカナぺヌプリはアイヌ語のワッカ・ナム・ぺ・ヌプリ(飲み水・冷たい・川・山)からきています。ちなみに市内の若菜も元は若鍋と呼ばれこのワカナぺに因んだ地名です。廃止された夕張支線唯一のトンネル名は稚南部(わかなべ)トンネルでした。

夕張

もう児童生徒が通うことはない夕張中学校と夕張小学校(奥)。

夕張

夕張駅近くの末広町の通りこちらの歩道は除雪されてました。

夕張

末広1丁目、この右側山手には末広墓地があり炭鉱事故の多くの犠牲者を悼む碑などがあるようです。

夕張

末広から鹿ノ谷を目指します。ゆるい坂を下っていると遠くに鹿ノ谷が見えます。

夕張

札幌行きの特急バス、鹿ノ谷にて

夕張

除雪された歩道を歩き鹿ノ谷へ、夕張さんぽはまだまだ続きます。

夕張

上記写真は昭和50年代初頭に撮影された夕張:夕張本町並びに末広、鹿の谷地区、写真の小さい@が国鉄鹿ノ谷駅です。@の下部分は鹿ノ谷東丘町になります。Aは鹿の谷山手町にあった夕張北高と思われます、現在宿泊施設として稼働中です。

Bは末広町の炭住街、現在は新しいアパートが並んでいます。Cは末広にあったJRの3代目の元夕張駅、並びにレースイリゾート付近になります。

Dの写真上側は夕張本町6丁目にあった元夕張小学校、下が夕張本町5丁目にあった元夕張中学校になります。

Eのすぐ左の大きな建物が夕張本町4丁目にあった夕張市役所や市民会館付近になります。この裏側に2代目の夕張駅や夕張鉄道夕張本町駅がありました。

写真右下端の集落が夕張本町の中心街の2〜3丁目付近になり当時は境目付近を十字街と呼び本町商店街が形成されていまいた、歓楽街の梅が枝通りはこちらのより山側の通りにありました。

ちなみに本町3丁目と4丁目を結ぶ橋は栄橋、流れる川は志幌加別川になります。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。

続きは下記画像をクリックしてください

夕張、空知炭鉱遺産関連はこちらから♪

「カムイミンタラ」夕張

カムイミンタラすべての項目はこちらからどうぞ♪

アイヌ語地名サイト「カムイミンタラ」

夕張関連コンテンツ

  

  

  

夕張支線スケッチ2013 夕張 沼ノ沢スケッチ 夕張 高松さんぽ

夕張モノクロ紀行 夕張モノクロ紀行A 大夕張さんぽ