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天北線さんぽH (小石〜曲渕) 簡易版
2011年1月3日、国鉄天北線(音威子府駅〜南稚内駅 148.9K)跡(現:宗谷バス天北線)をさんぽしました。写真が重いこともあり少しずつですが区間を区切りご紹介したいと思います。今回は9回目として小石から最北の峠を越え、稚内市声問村曲渕までの区間になります。鉄道時代は駅間距離が日本一(約17.7K)の時代もあった区間です。尚、この区間、私が来た2011年正月は勿論現役でしたが、2011年10月より、宗谷バス天北線が宗谷岬経由に改められたため残念ながら廃止されています。尚、こちらも簡易版となります。 写真は、最北の峠越えの天北線撮影地として知られた場所です。太陽の右下辺りに弓なり状になっている天北線線路跡になります。小石も曲渕のもと炭坑のあった街で、曲渕は温泉や映画館のあった時代も存在していました。今は当時を想像できないような小さい集落になっています。 宗谷バス天北線、小石バス停と併設の郵便局、以前は列車時代と同様に音威子府から小石行きのバスがありましたが、もうバスは廃止されたので行くには村役場に電話するか鬼志別から1時間ほど歩くしかありません。 道路も最北稚内市へ向かい峠を越えます、最北らしい太陽がお出迎えしてくれました。 |
この小石と曲渕の区間、途中多少見える区間もありますが、天北線跡と離れた区間が殆どです。それでも景色は四季を問わずとても荒涼として私は好きです。でも一人では怖くて行けません(笑)バス時代も、この区間に途中のバス停はなく、所要時間も20分を超えこの区間だけで600円近くしたような気がします。 弓なりになった雪原部分が天北線跡です。現役時代は有名な撮影地だった場所です。夏場は木の葉が生い茂りそうですので冬が一番分かりやすいかもしれませんね。もうこの区間をバスで楽しめないというのもちょっと寂しい気がします。まぁ〜全線廃止にならずに良かったと前向きに考えるのがいいかもしれませんが(笑) この時期、相当運が良くないと利尻は見えません、それに勝るとも劣らずの光景にしばし、感動してました。最北らしい景観でした。長崎では氷河期にでもならないとあり得ませんね(笑) 稚内市声問村曲渕の集落に来ました。運良くこの時期にしては珍しく夕焼けを見ることが出来ました♪炭坑のあった曲渕には明るいうちに来たかったのでほっとしました。ここには昔、宗谷曲渕炭鉱(昭和38年閉山)の他に元祖稚内温泉の他、映画館まあり賑わったのが信じられないほど静寂です。 炭住ではありませんが、それを思わせるような集合住宅が曲渕には残っています。現在、天北線の代替バスが宗谷岬経由に変更されたため、曲渕へのバスは1日3本に減っています。(増幌経由は廃止) この木の裏に微妙に見えるコンクリート構造物が曲渕炭坑に残るホッパーなのですが、木が邪魔だし、いくら長靴でもこれ以上突撃する無謀なので我慢。。大人の対応といってください(笑) 厳冬期に見える夕焼けって素敵です。稚内市曲渕 天北線に沿うように流れる宇流谷川(曲渕にて)ですが、元はアイヌ語河川名パンケウペウタウシュナイ=パンケ・ウペウ・タ・ウシ・ナイ(川下の・伊吹防風の根・採る・いつも〜する・沢)を意味し、アイヌが風邪薬などに利用する伊吹防風の根を採る際に利用する川だったことが窺い知れます。 ちょっと嬉しい時代遅れの道路標識、これはちょっとしたサービスと思いましょう(笑) 上記写真は昭和50年代初頭に撮影された曲渕駅付近です。写真右○が曲渕炭坑のあった場所付近になります、中央の○が曲渕小中学校、左の○が天北線曲渕駅になります。進行左が稚内方向、右が浜頓別方向になります。「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用。次回はいよいよ(やっと)次は最終回、終点の南稚内ではなく暗くなったので恵北(旧幕別)を目指します。 尚この天北線さんぽでは稚内の知人「くもゆにさん」に大変お世話になりました。バスすら鉄道時代より減った天北線、くもゆにさんのお力がなくてはとてもさんぽは不可能でした。私のワガパパをこころよく受け入れてくれたこと、そして天北線沿線の天候にも深く感謝します。 実はこの日の予定は浜勇知・夕来・オネトマナイ・稚咲内・オトンルイ・サロベツ方面から利尻を見たり、豊富の新しいサロベツ湿原ビジターセンターに立ち寄る予定でしたが利尻が見えませんでしたので大幅に予定を変えさせて頂いたので運よく実現しました(笑) カムイミンタラすべての項目はこちらからどうぞ♪ |